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旅に出よう(海外、その3)「バギオ(その2)」 [トピックス]

■ 少しは可能性を信じたが… ■

 バギオには植物園(Bauio Botanical Gargen)があるので行ってみた。園内を適当に歩き回り、ベンチの上に腰かけて休憩していると。年齢的に言うと22、23歳といったところか、アベックが私の隣のベンチに腰を下ろした。何となく会話が始まり、「園内を一緒に回ろう!」ということになった。

 一通り回ると、彼らから「夕食でも一緒にどうですか?」と誘われた。特に怪しい御誘いにも思えなかったので、「いいですよ」と答え、私の泊まっている宿で待ち合わせることにして、一旦彼らとは別れた。

 彼らは、ほぼ約束した時刻に宿にやってきた。3人で通りに出ると、男性の方が「どこかいいレストランは知っているか?」と聞いてくるので、もちろん「初めての町なので分からない」と答えると、「じゃあ、僕が知っているのでそこへ行こう!」ということになった。

 それで、そのレストランに向けて歩いているときのことである。彼が、「あっ、いけない。銀行のATMへ行ってお金を下ろさないと」と言い出し、私たちは近くにある銀行へ向かった。

 現在は、ATMは銀行だけでなく、駅や街中でもよく見かけるが、当時は恐らく銀行くらいだったように記憶している。それで、銀行に行くと、サービスの時間外でATMを利用することはできなかった。

 彼は、「いや~、困ったな!どうしよう?」と言いだし、私にこう提案してきた。

 「ここで食事は止めてもよいのだが、せっかく知り合ったし、いろいろと日本の話も聞きたいので、必ず明日返すので食事代を立て替えてくれないだろうか?」

 私は、「さて、どうしたものであろうか?」とちょっと悩んだが、一応彼の言葉を信じて、OKとうなずいた。ただ、念を押しておいた。「立て替えるのは構わないが、もし、お金が戻ってこなければ、旅を続けることはできないので…」と…。

 彼は、「絶対返すよ。宿泊している宿だってしっているんだから、心配しないでくれ!」と断言したので、私たちは再びレストランへ歩みを変えた。

 レストランは、高級とは行かないまでも、そこそこのレベルのレストランで、中央ではダンスショーなども行われていた。正直言うと、どのような料理を食べたのかはもう記憶にない。

 私たちは、一通り、食事やショーを楽しみレストランを後にした。もちろん、会計は私が済ませ、日本円で合計5,000円近く支払ったように記憶している。そして、3人で「楽しかったね!」などと会話をしながら、再び私が宿泊している宿へ向かった。

 そして、宿の前で「じゃあ、明日、必ずチェックアウトの時間までには返しに来るから」という彼の言葉を信じて、彼らと別れた次第である。

 翌日、私は北部のバナウェに移動するために、宿を11時にチェックアウトしなければならなかった。「来るかな~」と少しは可能性を信じたが、彼らは現れることはなかった。もちろん、そういうことも十分にあり得るとは思っていた。私は、バックパックを背負い宿を後にした。

 しかし、「彼らは、最初に植物園で私に声を掛けたときからそのつもりだったのであろうか?」とか、「それとも、最初はそのつもりはなかったが、たまたまそうなってしまったのか?」、または「最初からそのつもりだったのであれば、これからもそういう人生を送るのであろうか?」などといろいろと思い巡らしてしまった。

 いずれにしても、まあ、授業料としては、決して「安い」とは言えなかったが、勉強させていただいた次第である。もちろん、彼らの分の食事代が戻らなかったからと言って、旅が続けられなかったわけではない。

 


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旅に出よう(海外、その3)「バギオ(その1)」 [トピックス]


■ ひと儲けしないか?!■

 バギオは、首都マニラがあるルソン島の北部の都市で、マニラから約250キロ北に位置する。記憶にはないのだが、恐らくバスで移動していると思う。調べてみると、マニラから5時間半から6時間半ほどかかるようだ。

 ここバギオでは、安宿に宿泊している。恐らくユースホステルがなかったのであろう。安宿の情報も、「地球の歩き方」を持ち歩いていれば特に問題はない。

 バスターミナルでバスを降り、地球の歩き方を片手にバックパックを背負って歩いていると、30代半ばくらいの男性が声を掛けてきた。例によって無視するのが一番である。 英語で話しかけられても、決して英語で答えてはいけない。とにかく「オレ、英語分からないだけど」とか「今、宿探しで忙しいんだけど、何の用?」などと日本語で適当に通すしかない。5分くらいはついて来たが、会話が全く成立しなかったので、それ以上やっても無駄だと思ったのだろう。諦めてどこかへ行ってしまった。

 「やれやれ」と思ってしばらく歩いていると、また別の男が話しかけてきた。一難去ってまた一難である。今回も、日本語で通していたのだが、ポロット英語が出てしまったのである。「しまった!」とは思ったが、もう遅かった。「なんだ、英語が話せるんじゃない!」と言うことになってしまった。

 目的としている宿まで英語で適当に会話をしなければならなかった。それから10分も歩いたであろうか、目的の宿が見つかったので、「じゃあ、悪いけど、オレは今日ここに泊まるので…」 と「さよなら」をしようとしたのだが、「オレ、ここ知っているよ!」と言い出す始末である。

 ビルの2階の部分が宿となっていて、2階まで階段を使ったが、当然、彼もついてくる。フロントでバックパックを下ろし宿泊したい旨を告げると、OKとの返事で、早速、宿泊の手続きを取った。

 「それでは、~号室を使ってください」と、部屋の鍵を渡されると、例の彼は、「荷物は重たいだろうから、オレが持って行ってあげるよ」と、部屋までついてくる始末である。部屋に入り、私は荷物をベッドの脇に下ろし、ベッドに腰掛けた。そして、いつまでも付きまとわれては困るので、彼に言った。

 私:「で、一体何の用なの?」

 彼:「オレの伯父が日本について知りたいと言っているんだ」

 私:「伯父さんが?」

 彼:「そう、ここからタクシーで10分くらいのところに住んでいるんだけど、一緒に来てくれないか?」

 私:「ん~」

 彼:「お願いだよ」

 私:「分かったよ。じゃあ、行こう!」

 今から思い返すと、なぜこのとき「分かったよ」などと言ったのかが全く分からない。どう考えても怪しい話にしか思えないのだが…。

 私は、デイパックだけを背負って、彼と一緒に通りに出た。彼がタクシーを停め、私達2人は乗り込んだ。10分も走っただろうか、タクシーは閑静な住宅街で停車した。

 彼が、「ここが伯父の家だよ」と指さした家は、そこそこの広さのある一軒家であった。彼がチャイムを鳴らすと、50前後の女性が現れ、応接間に通された。ソファに腰を掛けていると、やはり50前後の痩せた男の人が現れた。彼に「この人が僕の伯父さんです」と紹介されたので、私は立ちあがって握手を交わした。

 その伯父と交わした会話は、「日本のどこに住んでいるのですか?」とか「バギオの次はどこに行きますか?」などのように、旅行者と現地の人と間に成り立つありきたりなものであった。しかし、突然、彼がこう話題を変えてきたのである。

 伯父:「実は、私はカジノで働いているんだ」

  私:「へ~、カジノですか」

 伯父:「そう、ホテルのね。そこでいい話があるんだ」

  私:「いい話?」

 伯父:「そうだ。どうだ、二人で組んでひと儲けしないか?」

  私:「ひと儲け?」

 伯父:「そうだ、あなたがカジノに来てくれれば、勝たせてやる。で、儲けた分を山分けしよう!」

 この手もよく聞く話である。最初は勝たせておいて、結局、最後は負けて借金が残るという結果になる。

  私:「いや~、ギャンブルは好きでないし、それに、現金のほとんどはマニラにいる友達に預けているので

     手元には100ドルちょっとしかない。これは旅を続けるのに必要なお金なんだ」

 伯父:「またまた、本当はたくさん持っているんだろ?!」

  私:「いや、本当だ。たくさん持ち歩くのは危険だからと友達に言われ、彼に預けたんだ」

 会話を続けていると、最初に応対してくれた女性がビンビールを持ってきてくれた。手に取るとギンギンに冷えていて、上部が凍っているほどであった。

 この手のドリンクも危ない話をよく聞いている。つまり、差し出されたドリンクには睡眠薬が入れられていて、飲んだのは良いが、気が付くと、身ぐるみはがされていて道路にうずくまっているというパターンである。

 ちょっとためらったが、ビンには栓がされていて、私は3本あったビールのうち任意のものを選んだので、「恐らく大丈夫だろ」ということでゴクゴクやってしまった。

 伯父:「残念だな~、二人で手を組めば必ずもうかるのに…。」

  私:「いや~、それは残念だ!」

 それ以上押しても無駄だと思ったのか、彼の伯父が「じゃあ、オレはそろそろ仕事の準備をしないと…」と言い出したので、私達は、再びタクシーで来た道をホテルまで戻った。事なきを得た次第である。


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旅に出よう(海外、その3)「マニラ(その2)」 [トピックス]

■ 映画を観た ■

洋 画

 夜、「退屈だな~」ということになり映画館が数館並ぶ場所に行ってみた。その内の1つで、洋画を上映していた。映画館の壁に掲げられた大きな看板には、タンクトップを着た男の人が機関銃のようなものを抱えた絵?が描かれていた。

 「まあ、何かよく分からないけど観てみるか」ということで、チケットを購入した。館内はかなり込んでいたように記憶している。映画の内容であるが、クリスマスの時期に、単身赴任中の男性が家族の元に帰るのだが、直接、家には戻らず、まず妻の勤める会社を訪れるところから始まった。

 それはとても高いビルで、訪れたときは社内でクリスマスパーティーの真っ最中であった。彼が妻のオフィスにいると、テロリストがビルに侵入し、社員たちを人質に取るのである。彼は、孤軍奮闘でテロリストたちと戦い、最後にはビルを彼らから奪還するという内容であった。

 全く映画に対しての予備知識はなく、「どんな映画だろう?」と何気なく観てみたものの、これが結構面白かった。ストーリーが単純だったので、英語がそれほど堪能でもない私にも内容は理解できた。

 帰国してのことだが、この映画が「ダイ・ハード」であることが分かった。日本でもかなり話題を呼んだようで、雑誌などには、映画を観ようと、映画館の前に長い行列を作っている写真などを掲載されていた。

 

アダルト映画

 アダルト映画に行ってみた。館内に入るとほぼ満席状態で、2階にしか空席を見つけることは出来ないような状態だった。私は、映画館にアダルト映画を観に行くという趣味はない。日本でも、「1回も行ったことはありません!」とは自信を持って断言はできないので、恐らく、1回や2回くらいは観ているのかもしれないが、それがいつかは全く思い出せない。

 まあ、日本の場合も、幕が上がってスクリーンに映された映像が、いきなり男女が裸で絡み合っているというようなことはないと思うが、ここマニラで観たときも、その始まりは「これがアダルトなの?」と疑ってしまうほど、ごく普通の映画であった。

 しかし、いつまでたってもメロドラマのような映像が続くので、「もしかしたらアダルトと勘違いしたのだろうか?」と思ったほど。あと10分か15分くらいで上映時間が終わってしまうというときに、突然、客席から拍手や指笛があちこちで起こったのである。

 「何事だろう?」と思っていると、突然、今までのメロドラマのような映像が、全く関連性のないアダルトの映像に変わったのである。現在はどうなっているのかは分からないが、何とも不思議なアダルト映画であった。

 

■ 繁華街に行ってみた ■

 マニラにも観光する場所はあると思うが、全くその記憶が残っていない。そして、その写真もアルバムには1枚も張られていない。「デパートと映画にしか行かなかったのだろうか?」と思いだしてみると、観光地ではないのだが、夜、繁華街を歩いたことを思い出した。

 飲み屋なども軒を連ねているようなところで、店先には客引きが立っているわけだが、とにかく彼らはしつこい。そういうところでは、まともに道をまっすぐ歩けるものではない。まず、通りを歩いていると、真正面に立ちはだかってくる。

 それだけなら横によければ良いが、女性の客引きなどは、手をつかむと放そうとしないこともあった。「今、忙しいから!」と言っても「ビール1杯だけでいいから」と店の中に引きずり込まれそうになるほどだ。あまり、しつこいので「分かった!分かった!じゃあ、ビール1杯だけ」と言って店に入ったが、出る時も大変だった。

 また、そのような繁華街ではないが、街中を歩いているときもたびたび苦労をする。それはやたらとしつこく話しかけてくるのである。主に英語でだが、「こんにちは」「日本人?」、または「お元気ですか?」などの片言の日本語の場合も多い。

 この手の情報は、「地球の歩き方」などにも「注意事項」として載っているので、無視をするのが一番である。その手の輩は、「単に挨拶をしたい」というよりは、ほとんどが「何とかカモにしてやろう!」とたくらんでいる連中である。

 彼らは、そう簡単には引き下がらない。とにかく会話を成立させてはならないので、仮に簡単な日本語で話しかけられても、それ以上は日本語は話せないので、それからは英語となる。こちらは、終始、日本語で対応しなければならない。少しでも英語で話そうものなら、「こいつとはコミュニケーションが取れるな!」と思わせてしまうので注意をしなければならない。

 彼らが話しかけてくるのは、「いい女がいるぞ!」とか、「カジノで一緒に金儲けをしないか?」というような話ばかりである。この手の輩に慣れるまでには、少し時間がかかってしまうわけである。  


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旅に出よう(海外、その3)「マニラ(その1)」 [トピックス]

■ ユースホステルへ移動 ■

 タクシーでお世話になった人の自宅に向かった。もう、マニラのどの辺りだったのかは記憶にないのだが、そこはちょっとしたアパートの一室であった。確か、奥さんとは、彼女が大学生のころに知り合って結婚していると聞いていた。まだ、23、24歳くらいの若くてチャーミングな人であった。

 私には、彼らの寝室をあてがわれた。寝室の隅に置かれたテーブルに目をやると、夫婦、2人が写っている写真が写真立てに入れられ、「~、I love you!」という文字がマジックで書かれていた。まだ、お子さんはいらっしゃらなく、結婚して何年だか分からなかったが、もしかしたら新婚気分が続いていたのかもしれない。そこをお邪魔して、申し訳ないことをしてしまった。

 翌日には、お世話になったお礼を告げ、マニラにあるユースホステルへ移動した。フィリピンであれば、安い宿もいろいろとあるのだろうが、ユースホステルがある場合は、なるべく利用するように心がけた。何となく「ユースだと安心できる」というところがあった。

 チェックインをすると、デパートに向かった。それは、持ち歩いた「地球の歩き方」には、「安い宿を利用して旅行をする場合は、モスキートネットを購入する必要がある」と記されているからである。「モスキートネット」とは、いわゆる「蚊帳」のことだ。

 私が小学生のころ、母方の田舎である群馬に夏休みを利用して遊びに行ったころには、夜は蚊帳の中で、うちわなどで仰いでもらって寝たものである。それ以来、蚊帳などは目にしたことがない。ここ、マニラで購入した蚊帳は、私が田舎で見たものほど大きなものではなく、ベッド1つ分のサイズである。それを、ベッドの4隅の柱にくくりつけて利用する。そうしないと、とてもではないが、夜は蚊の攻撃を受けて眠ることは不可能となる。

 ユースホステルでは食事は提供していなかったが、恐らくマニラのユースホステルだと思うのだが、通りに面した入口にはカウンター式の食堂があって、食べる分にはわざわざ他の場所を探す必要はなかった。大きめの皿の半分くらいにライスが盛りつけられ、おかずは、惣菜屋で惣菜を購入するように、ガラスケースの中にある惣菜が盛られた大皿から好きなものを2,3種類選んで、お皿に盛ってもらった。

 おかずの方は、野菜炒め、チキンの空揚げなど、どれも日本でも目にするもので、「一体これは何だ?」と言うものはなかった。味も、十分に合格点が付けられるものであった。ただ、「ライス」に関しては、いわゆる私たちが日本で毎日のように食しているジャポニカ米ではなく、細長くてパサパサしたインディカ米だったので、最初の頃は少し違和感は感じた。

 それから、食事に付き物のビールだが、フィリピンであれば、これはもうサンミゲールビールである。 「あれっ、他の銘柄ってあったかな?」と思ってしまうほど、いつもサンミゲールビールを飲んでいた。とにかく「安い!」ということだけははっきりと記憶に残っていて、値段が思い出せないのでちょっとネットで調べてみると、350ccほどのビンのボトルで23ペソくらいで、日本円で約51円となる。味は、バドワイザー系で、さっぱりしていて飲みやすかったように記憶している。


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旅に出よう(海外:その3)「フィリピンの空港にて」 [トピックス]

■ 先が思いやられる ■

 しかし、税関の前でのことだが、「これから税関だ!」ということで少し緊張したのか、トイレに行きたくなった。マニラはフィリピンの首都である。そこの国際空港なのだから、もちろん設備もそれなりだし、清潔感は保たれていた。 

 私は、荷物を目の届くところに置き、小便器に向かって放水を開始していたのだが、いきなり私の両肩を揉んでくる輩がいるのである。「何だ?何だ?」と振り向くと、どうも清掃員のようであった。一瞬、状況がつかめなかったが、放水を急に止めることはできなかったし、そのまま振り返ると、あらぬところに放水しそうだったので、とにかく急いで貯水タンクを空にし、ホースを格納したが、この間もずっと私の肩は揉まれた状態であった。

 とりあえず、振り返ってみると。清掃員はニコニコして、「ハロー」などと話しかけてくるではないか。右手は出していなかったが、その笑顔が何を要求しているかは理解ができた。もちろん、頼んでもいないのを勝手に向こうがしたわけだから、相手にしなくても特に問題になることもないはずである。でも、私は、「しょうがね~な~」と呟きながら、右手をポケットに差し込み、硬貨を1枚取り出した。

 それは50円硬貨であった。そえを彼に渡したが、本人は50円硬貨を手に取り「何じゃ、これは?」と言う感じのリアクションであった。きっと価値が分からなかったのであろう。どうでもいいが、「こんな国際空港、他にあるのであろうか?」と思わざるを得なかった。

 無事、税関を通過し、フィリピンに入国することができた。そして、入国者を迎える通路のところで、一人の男性が「Mr.~」と私の名前を書いた紙を掲げていたので、歩み寄って、「~さんですか?私は、~さんに紹介された~です」と挨拶をすると、「ようこそ、いらっしゃいました!」との答えが返ってきた。

 年齢で言うと、30半ばくらい、細身のメガネを掛けた「いかにも子供たちに勉強を教えている」と言う感じの男性であった。彼が「タクシーを呼んできますから、ロビーを出たところで待っていてください!」というので、「分かりました」と答え、そのままロビーを出て少し待っているときのことであった。10歳にもならないような現地のガキ、いや、子供が英語で話しかけてきた。

 「どこから来たの?」「フィリピン初めて?」、または「これからどこへ行くの?」などと聞いてきたので、適当に答えていると、彼がタクシーを呼んできてくれた。

 私は荷物をトランクに入れ、タクシーに乗り込んだのだが、先程の子がタクシーの窓越しにしきりに何かを訴えているのである。何を言っているのか分からなく、「はっ?」首をかしげていると、隣に座っている彼曰く、「話し相手になったのだからチップをくれ」と言っているとのこと。

 「話し相手って、一体何を言い出すんだ、このガキは!」と思わざるを得なかった。一向に諦める様子がなかったので、再びポケットに手を突っ込んで適当に硬貨を取りだすと、10円玉が2枚であった。それを、彼に、「ほら」と渡すと、それを見るなり「こんなもの要らない!」と返してくる。そして、今度は「ドル、ドル」とドルをくれと言っている。

 もちろんドルを彼にあげる気持ちは毛頭なかったので、横の彼に「もう行きましょう!」と言うと、彼も「そうしましょう」ということになり、タクシーを発車させた。しかし、フィリピンは、先が思いやられる旅になりそうだ。

 


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旅に出よう(海外:その3)「フィリピンの税関にて」 [トピックス]

■ とても小心者の私には… ■

 「はじめに」で書いた、セブ島へのダイビングツアーのメンバーの一人が、「いきなりマニラで宿を探して泊まるのはなかなか大変だろうから、知人を紹介してあげる」というのである。まあ、「不安は全くない」といったらウソになるので、お言葉に甘えることにした。

 その人は、マニラで、日本人の子供を相手にして進学塾を開いていて、現地の女性と結婚しているとのことであった。それで、「ちょっとその人に持っていってほしいものがある」と言うのである。まあ、よほど大きなものや「ヤバイもの」でなけらば特に問題もないと思ったので、「何でしょうか?」と聞くと、プリンター用のリボンなどのオフィス用品とのことだったので、快諾した次第である。

 出発の前日に、「じゃあ、これ頼む!」と渡されたカバンの中には、リボンなどのオフィス用品がけっこうたくさん入っていて、それだけで一つの手荷物となった。本人曰く、「まあ、全部、現地で買えないこともないのだけれど、日本から持って行った方がかなり安いんだ」とのこと。

 私はちょっと不安になり、「こんなにたくさん、税関で何にも言われないですか?」と聞くと、「まあ、大丈夫だと思うよ。もし、何か言われたらさ、いくらか袖の下を通せばよいから…」との返事であった。「袖の下を通す」と聞いて、とても小心者の私にはその様なことができるようには思えなかった。

 万が一、そのようなことができたとして、税関の職員が「悪いな、OKだ!」と言ってくれればよいが、とても正義感溢れる人だったらどうだろうか?「うっ、何だこれは?オレを何だと思っているんだ!」というような展開になれば、東南アジアへの旅は、1日目にして終焉を迎える可能性も十分にあるわけである。「最悪、ブタ箱行きなんてことにならないだろうな」などと、どうも悪い方へ悪い方へと思いを巡らしてしまうのだが、今さら断るわけにもいかないので、「じゃあ、渡しますから」と引き受けた次第。 

 当日、税関に差し掛かるところでは、「大丈夫かな?」との不安から心拍数が速くなるのが分かった。だいたい、私の風貌は、とても平均的な日本人のそれではなく、「こいつちょっと怪しいな」と思われても仕方がないものだった。悪い言い方をすると、オウム的、良い言い方をすると、ジーザスクライスト的というか…。

 まあ、「大丈夫かな?」などと不安になっていると、どうしても表情に出てしまったりするものである。「ベテランの職員であれば、ちょっとしたことも見逃さないに違いない」と思い、努めて平静を装って職員の前の台の上に荷物を置いた。職員は私の顔をチラチラと見ながら

 職員:「仕事ですか?」

  私:「いえ、旅行です」

 私の私物の方のカバンを開けながら

 職員:「何か変なものは持ってないですよね?!」

  私:「全然、大丈夫です。」

 職員:「じゃあ、いいですよ」

  私:「ああ、どうも」

 と、結果的には私の私物のバッグは少し開けられて調べられたが、頼まれた荷物は開けられずに税関を通過することができた。ポケットに10ドル紙幣を3枚ほど用意していたが、使わずに済んだ。助かった!


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旅に出よう(国内自転車旅行)「9月18日 無事帰宅」 [トピックス]

 

 9月18日、大学時代の友達に別れを告げ、都内を目指した。新宿で、大学時代の先輩が登山用品を扱うお店に勤めていたので、挨拶をするために立ち寄って。先輩には、今回の旅で使用したテントやレインウエアでお世話になっている。

 新宿から実家まではわずか30キロほどである。しかし、なかなか車道は交通量が多くて走れないので、歩道が中心となる。都内の道は、バイクで幾度となく通っているので、地図に頼る必要はない。そして、2時間も漕ぐと「ただいま~」と我が家のドアを開けていた。

 恐らく4月10日に出発をしているので、5ヶ月ちょっとの自転車の旅はこの日で「完結」を迎えた。とにかく、事故なども起こさず、無事に我が家に帰れたのは何よりである。色々な人に出会い、多くの人にお世話になってしまった。

 さて、2、3日はゆっくりして、次の海外の旅の準備をしなければならない。行く先はほぼ決まっている。

 


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旅に出よう(国内・自転車旅行)「東北から関東へ」 [トピックス]

 

 悪行をしてしまった青森のユースホステル以降は、基本的には、「国内バイク・ツーリング」の時にお世話になったは友人、知人のところに再びお世話になった次第である。

 そんな中で、途中でテント泊をしたのを今でもはっきりと覚えている。恐らく、宮城県辺りだったと思う、「どこかテントを張れるところはないかな?」と探していると、国道の脇に大きな更地が目に入ってきた。その横に民家があったので、一応、許可を求めるために玄関のブザーを鳴らした。

 60を過ぎたくらいの男性が出てきて、「隣の土地にテントを張ってもいいですか?」と訪ねると、「私の土地ではないが大丈夫じゃないか」ということだったので、陽も落ちかけている中、テントを張った。

 そして、テントの中で荷物の整理をしてたときのことである。テントを「トントン」と叩く音がするので、顔を出してみると、やはり60を過ぎたくらいの女性が立っていた。その女性からは、「こんなところに張らないで、うちの物置で休みなさい!」という言葉を頂いた。

 彼女は、最初に許可を求めた男性の奥さんであった。「はあ、済みません」と私はテントをたたんで、彼女に案内された物置に行ったのだが、物置というには立派で、「明日からでも住むことができそう」なくらいの建物であった。私は荷物を、適当にあちこちに置いていると、「ちょっと、母屋の方に来なさい!」と案内され、奥さんが、台所で味噌汁や焼き魚などを用意してくれていて、「たいしたものはないけど、これを食べなさい」と言ってくれた。

 私は、それらを「物置」に持ち帰って美味しく頂いた次第である。次の朝、出発の準備をしていると、旦那さんが来てくれて、「何かあったら連絡をしなさい」ということで名刺を手渡された。今では、その名詞はどこに行ったのか分からないのだが、色々な人のご厚意によってこの旅が成り立っているということをつくづく思い知らされた次第である。

 


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旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道を後にして」 [トピックス]

■ 懺悔します ■

 北海道の最後の目的地の函館まで下ると、フェリーを利用して青森県の大間に渡っている。そこから海岸線を南下して「恐山」を目指した。

 「恐山」と聞くと、最近は良く分からないが、私くらいの年齢だと、小学生から高校生くらいの時に、テレビの「心霊番組」などで良く出てくる地名であった。ここには「イタコ」と呼ばれる霊媒師がいて、死んだ人の霊を自分の身体に乗り移らせる(「乗り移る」という表現が正しいかどうかは不明)ことができるということだ。番組では、よく芸能人の亡くなった父親や祖父などの霊がイタコの身体に乗り移る場面があった。

 芸能人:「おじいちゃん、あなたは私のおじいちゃんなの?」

 イタコ:「お~、そうじゃよ」

 芸能人:「おじいちゃん、元気なの?」

 イタコ:「ワシは元気じゃよ。そっちはどうじゃ?」

 芸能人:「私は元気よ。お父さん、お母さんもみんな元気よ!」

 イタコ:「そうか、それは良かった!」

 芸能人:「それで、おばあちゃんも元気なの?」

 イタコ:「えっ、ばあちゃんか…?え~と、まあ、ばあちゃんとはいろいろとあって…」

 芸能人:「いろいろ、って?」

 イタコ:「いろいろと言うのはいろいろで…」

 芸能人:「えっ、別れちゃったの?」

 イタコ:「まあ、そっちの世界ではそういうふうに言うのかもしれないが…」

 芸能人:「え~、そっちでは違うの?」

 イタコ:「え~と、まあ、同じっちゃ同じかな…」

 芸能人:「つまり、バツ1ね…」

 イタコ:「まあ、そうと言えないこともないが…」

 という会話が成立していたかどうかは定かでないのだが…。

 「現在はどうなっているのだろう?」とネットで調べてみると、相変わらず健在のようで、「男の放課後別館」というサイトで以下のような文章を見つけた。ちなみに、イタコが霊を自分の身体に乗り移らせることを「口寄せ」というようだ。

「寺の横には、イタコのいる小屋が・・・・。なんと、捨て看板!!料金は10分3000円。なんと、3時間半待ちとのことで、あきらめて地獄めぐりをします。」

 さて、私は、別にイタコに会いに恐山を訪れたわけではない。ただ、「テレビでは見たことがあるが、どういうところなのだろう?」とその雰囲気を味わいに行っただけである。

 記憶違いでなければ、恐らく恐山を訪れた日だと思うのだが、ユースホステルに宿泊している。それが、伊豆で利用したときのようにお寺のユースホステルであった。ただ、規模的には伊豆のよりはかなり大きく、利用した部屋には2段ベッドがいくつか置かれていた。私以外にも、その日はけっこう宿泊客がいて、ベッドはほとんど埋まっていたように記憶している。

 さて、そこで夕食を提供していたかどうかまでは記憶にないのだが、夜、部屋に戻ると小じんまりながらも「酒盛り」が始まった。なぜかその日の私は、好物のビールではなくウイスキーを所持していて、それをチビリチビリやっていたのだが、途中から記憶がプッツンとなった。

 気が付いてみると、床の中に入っていて朝になっていたのだが、辺りから酸っぱい匂いが漂ってくるのである。最初は訳が分からなかったが、置き上がって状況がつかめた。「あ~、何て言うことをしてしまったのであろう…」と思った。しかし、こんな経験初めてである。旅の疲れを言い訳にしたくないが、かなり疲労がたまっていたのだと思う。

 他の宿泊客からは「冷たい視線」を浴びせかけられたが、そんなのは当然である。みんな、「関わりたくない」と逃げるようにして部屋を後にしたが、私は、しばらく起きることができなかった。午後になってようやく置き上がることができるようになったが、とても、本来なら飲酒が禁止されているところで「済みません。飲み過ぎてしまって…」などととても言い出せるものではなかった。

 受付に行ってみると、誰もいなく、デスクの片隅には私の会員証が置いてあったので、それを手に取り部屋に戻った。そして、汚してしまった布団は押し入れの一番下に押し込み、逃げるようにしてユースホステルを後にした次第である。

 「後で、匿名の手紙を書き、その中に布団代を入れますから…」と自分に言い聞かせながら、お寺を後にしたが、未だに手紙は書いていない。いや~、我ながら「最低な人間」である。「今でもユースホステルはあるのであろうか?」と恐る恐る調べてみたが、どうも現在はユースホステルとしては存在していないようだ。かといって、それだから私の悪行が消えたわけでない。

 どう考えても、私は「極楽浄土」への切符は手に入れることができないと思う。そうすると「じゃあ、地獄なのか?」となってしまうが、地獄だけは勘弁してほしい。とりあえず、これからはしっかりと功徳を積んでいこうと思う。もしかしたらお迎えが来た時に、「よかったら極楽浄土の方にします?」と言われたりすることを少しは期待しているからである…。

 


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旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道(その4)」 [トピックス]

■ 無料宿泊所 ■

 8ほど前にオートバイで回っていた時は気が付かなかったが、今回、自転車で回ってみると、よく目にしたのが写真にあるような「無料宿泊所」である。「無料」とあるように、宿泊するのに一切料金は発生しない。写真はテント形式になっていて、中に入ると、畳が一段高くなって敷かれていたように記憶している。もちろん、蒲団までは用意していないので、持参した寝袋で寝ることになる。まあ、当たり前と言えば当たり前の話だが…。

 写真には撮らなかったが、ティッピー式のテントにも宿泊した。その時は、たまたまだったのかもしれないが、確か管理人さんがいたように記憶している。もちろん無料であった。そう言うところに宿泊していると、ときどき地元の人が立ち寄ってくれて、「ほら、これ食べな!」と果物などの差し入れを頂いたりすることがある。

 また、場所によっては貨車を宿泊所にしているところもあったように記憶している。でも、今から思い返してみると、「あれは一体何だったのだろう?」とちょっと首をかしげたくなるのだが、まあ、「町おこし」くらいに考えていいのであろう。

 例えば、個人の敷地に宿泊所だけ無料で提供して、その脇に食料品などを売ったりすれば、宿泊所を利用した人の中には、当然、購入する人も出てくるだろう。しかし、よっぽど人数が多くないと、商売として成立させるには難しいような気がする。それに、「宿泊所+お店」というパターンも見かけなかったように記憶している。

 「今はどうなのだろう?」とネットで調べてみると、まだ健在のようだ。後は、「素泊まり1,000円」などと言う格安宿も出現しているようであった。

 

 

■ 自転車は優遇される ■

 平坦な道を走っているときのことであった。後ろから車が近づいてくるのが分かった。特には気にしていなかったのだが、「通り過ぎていくな」と思っていると、スピードを落として私と並んで走っているのである。「何だ?」と思って横を見ると、小型のトラックで、荷台に乗っていた人が、私に「これ、収穫してきたばかりだから」とメロンを差し出すのである。

 拒否する理由など一切なかったので、「済みません!」と差し出されたメロンを受け取った。すると、「頑張ってくださ~い!」と、再びスピードを上げて去って行った。こういう思いがけないプレゼントは、本当にうれしい。

 また、北海道の道は、車両にとっては走りやすい分、事故も多い。ときどき、「安全運転で!」と道端で、警察の関係者や、おそらくお手伝いのおばさんと思われる人が、ティッシュやちょっとして飲み物などを配っていることがある。

 一旦、停車させられて「事故に気をつけてくださいね!」と飲み物などをもらうのだが、「じゃあ、自転車の人は2つあげますね」とサービスされたりしたことがあった。

 そして、こういうこともあった。どこの駅かは忘れてしまったが、きっと観光客に「寄ってみたい」と人気のある駅だったのだろう。私もそこを訪れ、日も傾きかけていたので、「さあ、今夜の宿はどうしようか?」と考えていた時のこと。一人の男性が声を掛けてきた。

 男性:「旅行ですか?」

  私:「ええ」

 男性:「今日はどちらに泊まるのですか?」

  私:「まだ決めていないんです。早く決めないと」

 男性:「じゃあ、うちに泊まりに来ませんか?」

  私:「えっ、泊めてもらえるのですか?」

 男性:「ええ、構いませんよ。アパートで広くはないですが…」

  私:「別にそれは構いませんが…」

 最初は、あまりにも突然の申し出に「大丈夫かな?」と言う思いもあったが、海外でないので身ぐるみを剥がされるようなこともないだろうし、こんな熊のような格好をしているヒゲおやじに、まさか「迫る」ようなこともないだろうと思い、お言葉に甘えた次第である。

 聞くところによると、たまに旅行をしている人を泊めているとのことであった。彼のアパートに着くと、「これから料理を作りますから、まず風呂にでも入ってください」と汗を流してさっぱりすると、「もう少しでできますから、ビールでも」と目の前のテーブルにはビールが置かれた。

 「なんか、飲んじゃっていいのかな…」とも思いながらも、当然、目の前の冷えたビールの誘惑に勝てるわけがなく、「じゃあ、済みません。いただきま~す」と喉を潤していると、テーブルには、鳥の空揚げ、サラダ、味噌汁などの出来たての料理が運ばれてきた。どれも美味しく頂いた次第である。しかし、世の中には、こんな奇特の人もいるものである…。

 

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