旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道(その2)」 [トピックス]

■ やっぱり北海道は走りやすい! ■

 本州を自転車で走っていて、何が一番怖いかと言うと、トラックである。特に、トンネルの中でトラックに追い越されるときは「ひかれるのでは…?」と思ったことが幾度となくあった。

 よって、長いトンネルに差し掛かると、その入り口の手前で一旦停まり、後方を「トラックは来ていないだろうな」と確認しなければならない。そして、トラックが来ていないと分かると、一気にトンネルを走り抜けなければならなかった。

 アメリカやカナダなどでも、トラックによる自転車のツーリストの死亡事故について何回か聞いたことがある。ただし、トンネル内ではなく、普通の道路で起こる事故だ。道もよく、信号などもなければ、当然、スピードは速くなる。よって、場合によっては、向こうでは高速道路でなくても時速100超えはざらのようだ。

 その様なトラックが、自転車で旅をしている人のすぐ横を通ると、風圧で自転車を巻き込むとのことである。何とも恐ろしいことだ。

 さて、何度となく怖い思いをした本州に比べたら、北海道はまさに天国である。トンネルは、おそらく海岸線には短いものがあったのかもしれないが、内陸ではほとんど記憶にない。仮に、長さのあるトンネルがあったとしても、しっかりと車道と歩道が区分されたものだったのかもしれない。

 それに、北海道の道は、比較的平坦で、上り坂で苦しんだ思いもほとんどない。オートバイで回った時も、その走りやすさは実感したが、今回の自転車の時は、その思いは倍増した。

 北海道に入って1週間ほどが過ぎたくらいだったろうか、「今日も天気がいいな!」と自転車を漕いでいると、突然、「パキン」という音が聞こえてきた。最初は「あれ何の音だろう?」とも思いながらも、そのまま漕ぎ続けたのだが、5分もたたないうちにまた同じ音が聞こえてきて、後輪がぐらつき始めた。

 すぐに自転車を停め、後輪を見てみると、スポークが何本か折れていたのである。すでに、重い荷物を積んで1万キロ以上は乗っているので、スポークの方も金属疲労を起こしたようだ。さすがに予備のスポークなどは携行していなかったし、仮に持っていたとしても交換する術は持ち合わせていなかったので、少し大きめの町に寄り、自転車屋を探し、交換してもらった次第である。

 

■ アルバム(釧路辺りまで)■

 


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島を後にして」 [トピックス]

■ 長居し過ぎた ■

 波照間島から再び西表島に戻って2、3日過ごした。正直言うと、西表島で長居し過ぎてしまった。当初、西表島の滞在予定は1週間ほどであったが、2週間近く滞在してしまった。また、与那国島や波照間島は当初の計画には入っていなかったのかもしれない。

 出発前は「富良野でラベンダーを楽しもう!」と計画していたのは覚えている。あまりにも南の島々の居心地が良すぎて、かなりのタイムオーバーとなってしまった。預かってもらっていた荷物を自転車に取り付けて、お世話になったいるもて荘の人たちに挨拶をし、石垣島行きの高速船に再び乗り込んだ。(またいつか行ってみたいな~)

 当時のいるもて荘では 「見送りダイブ」というのがあった。つまり、「行ってらっしゃい!」とか「元気でね!」と言って、見送ってくれる人が港の海に飛び込むのである。もちろん「やりたい人」だけで、全員ではない。

 今回ではなく、離島へ行くときにも、よく行動を共にした人たちが見送りに来てくれたのだが、その内の3名くらいが「行ってらっしゃい!」と言ってダイブしてくれた。それで、帰島したときに「あのとき大変だったんだから!」と言うのである。

 「えっ、大変って?」と話を聞いてみると、飛び込んだのは良いが、全員、「カツオノエボシ」というクラゲに刺されてしまったということである。ある人は手を、そしてある人は唇を…。「ほらっ、見てよ!」と差しだされた手をみると、見事に赤くなって腫れていた。(写真は直接本文とは関係ありません)「うわっ、痛そう~」と言うと、「痛いに決まっているでしょ。ヒリヒリするわ!」との弁。

 カツオノエボシは、大きさの方はほんの10㎝程度なのだが、触手が長く、その長さは数メートルに及ぶ。よって、自分の周りに触手だけがある場合はなかなか気づきづらいので非常に厄介である。場合よっては、ショック死する例も報告されているようでだ。

 私も、この旅でではないが、ダイビングを終え、水面に上がったところで刺されたことがある。そのときは、当然、ウエットスーツは着用していたが、ちょうとグローブとウエットスーツの間の皮膚が露出しているところを刺された。触手がほんのちょっと触れただけだったのだが、針に刺されてから電気が走ったような刺激があったのを記憶している。

 彼らによると、飛び込んでしばらくすると、誰からともなく「痛い!」「痛い!」と叫び出し、飛び込んでいない人にも手伝ってもらって、慌てて海から上がったそうである。私たちのために飛び込んで、非常に辛い思いをさせてしまった。決して、「海ほたるのときに、オレを先頭で歩かせた罰だ!」とは思わなかったが…。

 

 

■ 再び大阪へ ■

 石垣島からは、フェリーを乗り継いで大阪まで移動している。つまり、「石垣島→沖縄」と「沖縄→大阪」になり、単純に乗船していた時間だけでも50時間近くになる。そして、大阪では再び親戚の家に御厄介になった次第である。(大変お世話になりました)

 さあ、次の目的地だが、北上して京都の敦賀へ向かっている。目的は、敦賀からフェリーに乗り北海道の小樽に入るためだ。乗船時間はおよそ20時間となる。

 


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出よう(国内・自転車旅行)「その他の離島へ」 [トピックス]

 

・与那国島

 私は、いるもて荘に一度自転車を預け、その他の離島へ足を延ばしてみた。いるもて荘でよく行動を共にしていたIさんも、「オレも与那国島に行きたい!」と言うことだったので、行動を共にした。

 

 

 

■ 与那国島 ■

 与那国島は、西表島の北西約70kmの東シナ海に浮かぶ島である。石垣島からは124km、そして台湾までは111kmの距離を置き、日本の最西端となり「国境の島」となっている。実際のところは良く分からないが、当時は、「与那国島まで行けば、台湾のテレビ番組が見れる」と聞いていたほどだ。

 もちろん、西表島から直接アクセスすることはできない。まず、一旦、石垣島に移動しなければならなかった。石垣島から与那国島へのアクセスは、海路と空路の2通りあり、私たちは空路を利用した。当時の航空運賃は全く覚えていないが「今はいくらくらいでいけるのだろう?」と調べてみると、安いものだと18,000円くらいから往復のチケットを手に入れることができるようだ。船だと約4時間ほどかかり、片道3,460円となっている。「約4時間」というとそれほど耐えがたい時間でもないと思うのだが、それでも空路を選んだのは、単純に「飛行機に乗ってみたい!」というのがあったのかもしれない。

 

 

宿

 与那国島での宿は、Iさんが「有名な民宿がある!」と言うので、彼に任せた。宿の作り自体は特別変わったものではなかったし、ご主人が一人で切り盛りしているようであったが、そのご主人がユニークな人と言うこともなかった。実はこの民宿は、夕食の「すごさ」でその名が知られているらしい。

 夕食の時間になり、私たちが着いたテーブルの上に置かれた皿を見て驚かざるを得なかった。目の前に置かれた大きな皿の上には刺身や野菜炒めなどのおかずが大盛りになっているのである。「すごさ」とは「量のすごさ」のことであった。

 その量は暴力的で、「食えるものなら食ってみろ!」というものであった。現在であれば「じゃあ、ギャル曽根連れて行っちゃうゾ!」などと言えるのかもしれないが、当時、大食い番組などはなかったように記憶している。

 とても食べ切れる量ではなかった。「完食するまで帰さんゾ!」と言われれば、「済みません。3日ほど猶予をください」とお願いしなければならないくらいの量だった。安く食材が手に入れることができたのでこのようなサービスになったのだろうが、「でも、食べ残したものはどうするのだろう?」という疑問は当然湧いてきた。

 

観 光

 50ccのバイクを借りて、島の端から端に行ってみた。これも今でもはっきりの覚えているのだが、バイクを借りてから、行動を共にしているIさんが「この島だったらヘルメットを着用しなくて平気みたいだよ!」と言いだした。「暑いから。面倒くさいか!」ということになり、ヘルメットを前のカゴに入れてバイクを走らせていたが、島の人に「ヘルメットちゃんとかぶれ!」と注意される始末。全くいい歳して、思慮に欠ける行動をしてしまった。

 

 

ダイビング

 与那国島でもダイビングをしているが、ほとんどポイントの記憶が残っていない。あまり大物には出会わなかったのだと思う。ただ、一緒に潜った人の中に、ダイビング雑誌取材班が3名ほどいたのは変に記憶に残っている。

 現在の与那国島のダイビングポイントの一つに「海底遺跡」というのがある。1986年、ダイビングショップの人が「新しいポイントを開拓していこう!」と潜っていたら、島の南部の新川鼻沖で、偶然に巨大な1枚岩を発見した。

 人が加工されたしたような形状をしていたため、発見当初は「海底遺跡ではないか」とマスコミで騒がれて、多くの人々の興味を集めた。だが、現在に至っても「人工説」と「自然説」のそれぞれを主張する人がいて、実際にどちらなのかは結論に至っていないようだ。

 私が島を訪れたのは88年なので、そのポイントに行っていても良さそうなものなのだが…。また冬場は、西崎というポイントにおいて、ハンマーヘッド(シュモクザメ)が見られることも有名で、多くのダイバーが訪れる。

 

 

※YouTubeの張りつけ動画は、直接本文とは関係ありません。

 

 

 


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その7)」 [トピックス]

■ ヨナラ水道 ■

 「ヨナラ水道」とは、西表島と小浜島の間にある海峡のことで、幅は500~780m、水深が10~30m、そして長さは約5kmほどある。スキューバダイビングをする人であれば1回くらいはその名前を聞いたことがあるはずである。仲之御神島と並んで「一度は行ってみたい!」とダイバーが憧れるポイントの一つである。

 ダイバーの間では「マンタェイ」と呼ばれ、マンタが回遊するところとして知られている。ダイビングに興味がない人でも「マンタ」という言葉は一度くらいは耳にしている人も多いのではないかと思うが、マンタとはオニイトマキエイのことで、大きいものでは身体の横幅が8m、体重が3tに達するものもある。

 ダイバーであればだれでも「大きな魚を見てみたい!」と思うのは本音でが、私みたいな小心者は「あまり大きいと何か危害を加えられるのでは…」などと思ってしまうが、マンタはプランクトンを食べているおとなしい魚なので、その心配はない。

 ポイントに着くと、船長兼ガイドのお父さんが、「おい、おい、そこにいるのマンタじゃないか?!」と言うではないか。船に乗っていたツアーのメンバーは、みんな一斉に「えっ、どれどれ」と船から身体を乗り出して海の中を覗いたが分からなかった。お父さんがいた操縦席は、私たちの頭と同じくらいの高さにあるので確認ができたのかもしれない。

 しかし、大型の回遊魚となると、どこのポイントでもそうだが、「見れる・見れない」はその日の運によるところが大きい。中には「5回行ったけどダメだった」と言う運に恵まれない人だっている。なので、「そう簡単に見れるものではない」くらいの覚悟はできていた。それを、ポイントに着くなり、いきなり「マンタじゃないか」とか言われてしまうと、「うっそー」と半信半疑なのが正直なところであった。

 「早く準備して!」の声に、ツアーのメンバーは期待に胸を膨らませながら準備にとりかかった。仲之御神島の時と違って、ほとんど船も揺れてはいなかった。

 私も、急いで必要なものを身に付け、最期にフィンを履いて船の縁に海側に背を向くようにして腰を掛けた。着水したときに、タンクからホースによってつながれているメーターや予備のレギュレーターが暴れないように片腕でしっかりと押さえ、もう一方の手でマスクがずれないように抑えて、背中に背負ったタンクから着水した。

 空の青さが一瞬見えたかと思うと、「ジャブーン」という多少の衝撃とともに目の前は小さな気泡で包まれた。

通常は、最初からレギュレーターを口にくわえることはない。少しでもタンク内の空気を節約するために、最初はシュノーケルを使用する。ただ、着水時にはシュノーケル内に海水が入ってしまうので、まずはそれを「シュッ」と吐き出さなければならない。

 履いているフィンでゆっくりと海中をかくようにして体勢を整え、全員が揃うのを待った。そして、ガイド役のお父さんが海の中に入って全員が揃った。お父さんは、拳から親指だけを突き立て、それを海面に向けて何回か上下させた。「潜行」の合図である。私たちは、シュノーケルを外してレギュレーターにくわえなおした。このときも、レギュレーター内には海水が入っているので、一度吐き出さなければならない。

 着用しているベスト内の空気を少しずつ抜いてい行くと、身体は沈んで行った。すると20mくらい離れたところに大きな黒い影が確認できた。マンタである。「1本目で見れるなんて本当にラッキーだ!」と思わざるを得なかった。

 ここヨナラ水道でも、仲之御神島の時と同じように海底にある岩場につかまってマンタが来るを待つわけだが、潮の流れはかなり弱く、しがみつく必要などはなかった。

 私たちは岩場まで潜行したころには、先程見たマンタの影はもうなくなっていた。「いないかな~」とキョロキョロしていると、今まで海面にキラキラと輝いていた太陽に雲がかかり辺りが暗くなった。先程までは雲ひとつない快晴であったので「天気が悪くなってきたのか?」と見上げてみると、マンタだったのである。私たちの頭上を悠々と泳いで消えていった。

 再びキョロキョロしていと、ツアーメンバーの一人が私の肩を叩いてきた。振り向くと、少し離れたところを指さしている。目を凝らしてみると、2匹のマンタが並んで泳いでいた。きっとアベックだったのであろう。40分ほどマンタウェイを楽しみ、私たちは船に戻った。船上でタンクなどを外して身軽になると、誰からともなく拍手が起こったのである。

 

※YouTubeの張りつけ動画は本文とは直接的な関係はありません。

 

 

■ バラス島 ■

バラス島」とは、西表島とその北に位置する鳩間島の間に浮かぶサンゴの殻からできている小さな島のこと。ダイビングやシュノーケリングのポイントになっている。私の思い違いでなければ、ヨナラ水道で1本目を潜った後に2本目としてこのポイントに移動している。

 正直に言うと、どのようなポイントだったのかほとんど記憶にない。一つだけ記憶に残っているのが、マンタのようなものがこっちに向かってきたので、みんなに指を差して「マンタだ!マンタだ!」(水中だから聞こえない)と知らせてやったが、よくよく見るとビニール袋だということが分かった。どおりでみんな、首をかしげていたはずである。あと、バラス島自体が、周りのコバルトブルーの海に映えて白く輝いていたのも印象に凄く残っている。  


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その6)」 [トピックス]

仲之御神島

 ダイビングライセンスを持っていて、ダイビングをしないで西表島を離れたら、その魅力は半減してしまうと言っても過言ではないほど、西表島はダイビングのメッカでもある。滞在中、2日ほどダイビングに充てた。

 

仲之御神島

 「なかのかみしま」または「なかのうがんじま」と読み、通称、「オガン」と呼ばれている。西表島の南西約15kmの東シナ海に浮かぶ無人島で、見ようによってはヒョウタンのような形に見える。島の周りの海底にはいくつかの根があり、イソマグロなどの大型の回遊魚が見れるとあってダイバーにとっては憧れのポイントとなっている。

 当時のいるもて荘は、「くまのみ」と呼ばれるダイビングショップも併設していた。ペアレントさんのお父さん(旦那さん)の方がガイドも努め、ボートも所有していた。その当時で、50代半ばくらいの年齢だったと思う。よって、続けていればかなりの高齢なのだが、いるもて荘のサイトを見ると、ダイビングショップ「くまのみ」に関しての記載は全くない。よって、現在はいるもて荘自体でのダイビングツアーは組んでいないのかもしれない。

 さて、この「オガン」まではボートで1時間ほどかかった。外洋に出ると波はけっこう高く、「これ以上高くなると引き返す可能性もある」とのお父さんの言葉。私は、船には弱い方でもなく強い方でもない。そんな私にとっては「これ以上高くなるとヤバイ!」くらいの海の荒れ方だった。

 50分もたったであろうか、お父さんの「見えてきた!」の言葉に、「えっ、どこどこ?」と船が向かっている先の海原に目をやると、小さく島が見えてきた。

 それから10分もたったであろうか、島が目前に迫り、その岩肌なども確認ができるようになると「さあ、着いたぞ!」の声。ここは「東の根」というポイントである。根にアンカーを降ろして、ボートを係留した。「さあ、準備、準備!」の言葉に、ダイビングに必要なタンクやフィンなどの機材を身につけるのだが、船が揺れるのでなかなかスムーズに運ばない。ときどき「おっとっと~」と船のヘリに手を添えて身体を安定させないとならない。

 しかし、このポイントまでも船は揺れていたのだが、船が進行していたので揺れ方はけっこう一定の揺れだったようだ。しかし、停止してからはいろいろな揺れ方をするようになり、へたをすると酔ってきそうだったので「これは早く潜った方がよさそうだ」ということで、急いで準備をし、海に入った次第である。

 海に入ってすぐに分かったのだが、潮の流れがかなり速い。ボートに手を当てながら流されないようにして、船首のアンカーロープの所まで移動し、ロープをつかみながら潜行した。もちろん水中も潮の流れは速く、吐いた空気の気泡が上ではなく横に流れていくように感じた。とてもロープにつかまりながらでないと潜行は不可能なくらい潮の流れは速かった。

 根の上はテーブル状になっていて、直径はどのくらいあったであろうか、記憶違いでなければ7、8mくらいはあったような気がする。アンカーはその端に掛けられた。ロープ伝いに潜行をし、根の上までたどり着くと、根の上はほぼ平らだが岩の割れ目などもあるため、その割れ目に指先を掛けて移動していった。

 それまでは潜行するのに必死であまり気が付かなかったのだが、よくよく眺めてみると、根の周りをイソマグロが回遊しているのが分かった。全く今までに体験したこともないような景色であった。体長的には、優に2mはこえているものも何匹かは目の前を横切って行った。彼らは、私たちの存在など「また来たか…」くらいに、ほとんど意に介せずに悠々と根の周りを泳いでいたのである。

 ちょっと根の下に視線を移すと、大型ではないが、おそらく40から50㎝くらいの黒っぽい魚体が群れていた。しかし、ずっと下を見ていると「このまま落ちていったらどうなるのだろう?」という感覚に陥り、少し「恐怖」のようなものを感じた。よって、少し斜め頭上を回遊するイソマグロに集中した。

 とりあえず、特に問題もなく1本目のダイブを終え、島岸の波が穏やかな場所に移って昼食の時間となった。お父さんからは「おい、大丈夫か?メシ、食えるのか?」と声を掛けられたが、「いや、別に…」と少し痩せ我慢をして、何とか用意された弁当を胃の中に収めた。

 昼食後はしばらく休んで、ボートの周りでシュノーケリングを楽しんだ。大きな伊勢海老なども目の前に出てきたが、さすがに取るわけにはいかない。2本目も1本目と同様に大型の回遊魚を楽しむことができ、私たちは無事に帰路に着いた。しかし、下船してからもその日いっぱいは、ずっと船の上にいるようだった。

 


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その5)」 [トピックス]

 

■ 海ほたる ■

 誰かが突然、「海ほたるを見に行こう!」と言い出した。私は「えっ、東京に行くの?!」なんて言うギャクは決して発することはなかった。東京アクアラインが完成したのは、約9年後の1997年である。

 この場合の「海ほたる」とは、太平洋沿岸に生息する体長3ミリほどの甲殻類で、青い光を放つ夜行性の発光生物のことを言う。その名前は何となく聞いていた。太平洋沿岸であれば、伊豆あたりで見ていてもおかしくないのだが、今まで一度も目にしたことはなかった。

 もちろん海ほたるを見るには浜辺まで下りていかなければならない。この辺の記憶は非常に曖昧なのだが、この時下りて行ったのは、フェリーが到着する上原港ではなく、もっといるもて荘に近い浜辺だったと思う。上原港であれば、いるもて荘と港の間は盛んに車の行き来があるので、一部は砂利道のようなところも多少はあったが、ほぼアスファルトになっていたように記憶している。

 ただ、この「海ほたるツアー」では一部、草むらの中を通らなければならなかった。「私も行く!」「オレもオレも!」とツアーの参加者は8名ほどになり、もちろん私もその中に入っていたのは言うまでもない。そこでまたまた誰かが言い出した。「誰が先頭を歩くの?」

 最初、「なんでそんなこと決めるのだろう?」と発言者の意図が理解できなかったのだが、すぐにその理由が分かった。「そうね~、ハブ怖いし!」と女の子の一人がポロッと言ったのである。そう、ハブも海ほたると同じ夜行性なのである。

 どう間違っても、女性に先頭を歩かせられるわけにはいかなかった。そうすると、自分が先頭を歩く確率は1/4となった。「じゃんけんして負けたら仕方がない!」くらいに思っていると、「ヒゲさん(私)なんかいいんじゃないの!」ととんでもないことを言う奴がいるではないか。「えっ!」と突然の発言に驚いていると、「そうね、ヒゲを生やして野生に溶け込んでいる感じだし…」と、ダメ押しをするとんでもない発言が飛び出してきた。「ヒゲ=野生的」という関連性は全く理解できなくもないが、「野性的」と「野生に溶け込んでいる」というのは全く別物である。

 「ヒゲさん、どう?」というみんなの視線を感じずにはいられなかった。そこを、「いや、ジャンケンにしようよ!」などという言葉は口から出て来ようがなかった。私は、頬を引きつらせながら「構わないよ!」と言わざるを得なかったのである。

 次に「どうやったら草むらをより安全に歩くことができるか」という議論になった。「棒を杖代わりにして、地面をたたきながら歩いたらどう?!」という意見が出た。「なかなかいいアイデアだ!」と内心思っていると、「でも、ハブの習性で、最初に刺激されると攻撃態勢を取って、その次に刺激されたときに攻撃するらしいわよ」という別の意見が出てきた。つまり、「杖で地面をトントンとたたく」ことが第1の刺激で、次に前に踏み込んだ私の足が第2の刺激となるとのことである。つまり、私の足がガブリとやられるわけでだ。もちろんそれは最悪の事態を意味する。

 そうすると、杖代わりの棒を使わなければ、私の後ろの人が攻撃目標となる。私にとっては喜ばしいことだ?!「みんなでぞろぞろと歩くわけだから、そう計算したようにはいかないんじゃないの…?」という意見も出てきた。「確かにそうかもしれない」と思った。「棒を杖代わりとして使うべきなのか?使うべきではないのか?」究極の選択を迫られた。「危ないから止めようよ!」など言うものは選択肢に入っていなかったのである。

 最終的に、私は、棒を杖代わりとて使うことに決めた。ユースホステルの近くにあった適当な長さの棒を、杖代わりとして草むらに挑み行ったのである。

 草むらに差し掛かると、先頭に立った私は、今まで何気なく持っていた棒を「どうかハブだけは出ませんよに…」と、座頭市が自分の杖で地面をコツコツとやるように、草が生えている地面に押し当ていった。そして、私の後ろを、ツアーのメンバー達は、それぞれが肩に手を添えたり、またはズボンのベルトをつかんだりして数珠つなぎになったのである。

 幸いにも、特に問題なく海辺に下りることができた。私たちは、その辺にある適当な長い棒を探して、海水を掻き混ぜてみた。するとその流れに合わせて、海ほたるがキラキラと光るのであった。けっこうみんなはしゃいでいたが、帰りのことを考えるとなかなか素直にはしゃげない自分がいたのである。

 奄美大島で親戚の家に厄介になっていた時、「ハブセンター」に連れて行ってもらった。生きたハブの展示や「ハブ対マングース」などのショーが行われたが、鮮明に記憶に残っているのがハブの被害にあった人の写真が何枚も展示されていた。みんな一様に、ハブにかまれた部分の皮膚はどす黒くなり、パンパンに腫れていたのである。そのことが思い出されてしまった。さて、小一時間ほど遊んだ後、「もう、戻ろうよ!」ということになった。また、来た時と同じように列になって草むらを進んだ。結果的には何事もなく戻ることができた。

 もちろん、ハブは確実にいるし、実際に被害にあう人もいるわけだが、もしかしたらそう滅多にお目にかかれるものではないのかもしれない。事実、いるもて荘のペアレントさんは「ハブはなんて見たことがない!」と言っていたような気がする。 

 


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その4)」 [トピックス]

 

その他

■ 宴 ■

 さて、「ユースホステルでは飲酒は禁止」と書いたが、ここ、いるもて荘ではそれは食事中のことで、それ以外のところでは「もう高校生じゃないんだから、自己責任で…」と言う感じで黙認されていた。

 そうなれば、しばらく「天体ショー」を楽しんだ後は、宴が始まるのはごく自然な流れである。泡盛やおつまみを持ち寄って酒盛りが始まる。見慣れた顔もいれば、「今日、着いたばかりなんです」という新人も交じる。しかし、「あの泡盛はどこで手に入れたのだろう?」と考えたときに、記憶は非常に曖昧なのだが、恐らく昼間のうちに港にある商店などで手に入れているのだろうな…。

 

 

■ その他 ■

 どれくらい前のことだろうか?半年?1年?ちょっとその辺の記憶は曖昧なのだが、数年前ということはないと思う。恐らく「テレビ東京かな~」と思っているのだが(違っていたらゴメンナサイ!)、田舎暮らしをしている人を紹介する番組があって、リポーターが実際に訪れて、その生活ぶりをリポートするという企画であった。

 数人のリポーターが、日本の僻地?で田舎暮らしをしている人を訪ねるのだが、その一つに西表島に住んでいる男性を訪ねるものがあった。

 あまりはっきりとは覚えていないのだが、恐らく年齢的には65歳は超えているような男性で、西表島に移り住んでから10年近くになるような感じであった。それで、彼の住居だが、橋の下に作った掘立小屋なのである。失礼な言い方かもしれないが、東京あたりで言うならば、いわゆるホームレスが河川敷に廃材などで掘立小屋を作って暮らしているのとほぼ同じであるように私には思えた。

 もちろん、食事なども自給自足である。その辺に自生している食用になる草花を食べたり、浜辺に出て、波打ち際に打ち上げられた魚や海藻などを食しているような生活であった。もちろん、場合によっては傷んでいる可能性も非常に高いのだが、それらの拾得物を鍋に入れ、1日に2回ほど火を通して殺菌するのだという。冷蔵庫などはあるわけがない。

 それを食べては、また拾ったものを足していくと言うことを繰り返しているようで、半年以上は鍋は空になったことがないようなことを言っていた。もちろん一度も具合が悪くなったことはないとのことだ。

 一応、番組の設定では、レポーターが、その掘立小屋の横にテントを張って宿泊したことになっていた。そのレポーターが、朝、「おはようございます!」とテントから顔を出すと、少し離れたところに頭部を切り落とされたヘビが、その胴体をクネクネとさせている。それを見てレポーターは「えっ、これ何ですか?」と住人に聞くと、「あっ、これ?ハブ、ハブ。昨夜、用足しをしようと外に出てみると、いたので頭だけ切り落としたわけ」などと言っている。

 テレビ番組なので、どこまでが本当なのかは分からないが、でも、正直「逞しいな~」と思った。そんな彼がレポーターと一緒に近くの浜辺を歩いている場面があった。彼は、波打ち際に打ち上げられたものを拾うと、「何だ、まだ食べらるよ!」と言っている。それを聞いて、レポーターは「えっ、何ですか?」と、彼が拾ったものを見ると、恐らく台湾辺りから流れ着いた菓子パンで、一応、ビニール袋に包まれていて中には海水は入っていなかったのだが、賞味期限は数か月前に切れているものであった。

 レポーターは、「えっ、こんなもの食べても大丈夫なんですか?」と彼に聞くが、彼の方は「平気!平気!」と言って、その場でビニール袋から出してモグモグやって、「美味しい!」などと言っているわけだ。すると、テロップ「絶対マネをしないでください!」などという文字が流れてくる。

 そんな彼にも、家族から便りが届くことがあるようだ。この辺も非常に曖昧なのだが、離婚をしていて、娘さんからの手紙だったように記憶している。「お父さん、元気ですか?こちらはみんな元気にやっています。…」という内容だったり、時には宅配便で荷物も送られて来るようであった。ただ、それらのものが、直接、彼が建てた掘立小屋に届くのか、それとも彼が郵便局などに取りに行くのは定かではないが…。

 私はこの番組を見て、西表島にいるときのことを思いだした。まあ、彼ほどサバイバル的な生活はしていないが、西表島にあるキャンプ場には、数ヶ月、あるいは数年単位で暮らしている人がいると聞いていたので行ってみた。砂浜はとても白く美しいところであった。その砂浜に沿うようにして、高さ2~3mほどの樹木が生い茂っているのであるが、そのキャンプ場の長期居住者は、それらの樹木が影を作るところにテントを張っていた。もちろん、声を掛けるようなことなどはしなかったが…。

 そして、そのキャンプ所の住人に手紙などを配達する郵便局員さんがいるとのことであった。確か、キャンプ場に茂っている樹木の一つにには郵便受けがあったように記憶している。

 


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島へ(その2)」 [トピックス]

 

 食事の時間は、宿泊中の楽しみの一つでもある。もちろん、ホテルなどの食事ほどの贅沢さはないが、それでも夕食の時間が近づくと「今日は何だろう?」とちょっと気になったりする。

 夕食の時間は、おそらく17時半から18時くらいだったように記憶している。ここ、いるもて荘には食堂があり、その時間帯でおのおの夕食を済ませることになる。日によっては、「これ、~さんが取ってきたタコよ!」とタコ刺などのおかずが一品増えたりする。

 食堂にはテレビがあって、食事中はつけっぱなしになっていたが、当時はNHKしか電波が受信できなかった。よって、ブラウン管に映し出される番組はNHKの総合ということになる。時間的にも「ゴールデンタイム」という時間ではなかったので、ニュースあたりが流れていたように記憶している。食事中は、特に会話で盛り上がるということもなく、どちらかという、ときどきテレビの画面を見ては黙々と箸を進めるような感じだった。

 私の記憶違いでなければ、(今はどうなっているのか分からないが)まだ当時のユースホステルでの飲酒は禁止されていた。よって、非常に残念ではあったが、夕食と一緒にビールなどを飲むことはなかった。

 夕食後は、おのおの好きな形で時間を過ごすこととなるが、いるもて荘の回りには自然しかないので、「ちょっとコンビニに」などということはできない。港まで下れば、お店は数件あったはずだが、暗い道を20分ほど歩かなければならないので、その様なことをする人は皆無に等しかったと思う。

 よって、夕食後は、そのまま食堂に残ってテレビを見たり、自分の部屋に戻って読書をしたりと、各自が思い思いのことをした。私の場合だが、夕食後の過ごし方は雨でない限り決まっていた。

 いるもて荘は鉄筋コンクリートの2階建ての建物で、屋上に上がることができた。私の食後の楽しみは、屋上に上がって夜の帳が下りるのを味わうことであった。

 夕食を終え、屋上に上がる時間帯は、だいたい水平線に陽が差しかかる少し手前で、まだ辺りは明るかった。「夕食、美味しかった~」などと、しばらく屋上に寝転がって休んでいると、陽は水平線の向こうに沈み始める。残念ながらいるもて荘からでは山々が邪魔をして直接陽が沈むところを見ることはできないが、陽が沈む方向の水平線がうっすらとオレンジ色に染まるので、そのおこぼれくらいは楽しむことができた。

 陽が完全に沈み切ってしまうと少しずつ闇夜に包まれるわけだが、どこからともなく何かが羽ばたく音が聞こえてくる。目を凝らして音の方向を見ると、大きな鳥のようなものが飛んでいるのだが、その飛び方は鳥のものではなかった。「八重山大コウモリ」である。夜の帳が下りると同時に「自分たちの出番」とばかりに元気に羽ばたき始める。しかし、数分もすると羽ばたく音は聞こえなくなってしまう。きっと彼らも、ディナータイムを楽しんでいるのだと思う。

 そうなると、今度は「天体ショー」の始まりとなり、南国の夜空の星星が満開となる。 屋上で仰向けになり、見上げる分にはもちろん遮るものは何もない。また、起き上がって水平線あたりに目をやると、遠くの島の家屋から漏れてくる光が邪魔をしたりするが、その様な場合、手の平を使って遮ってやると、より一層水平線近くの星星の輝きが増す。高級ホテルなどでは味わえないものがここにはあるような気がする。

 


トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島へ」 [トピックス]

 

 さて、とうとう西表島(いりおもてじま)へ渡ることとなった。「西表」と聞くと、「イリオモテヤマネコ」を思い浮かべ、「ずいぶんと遠くへやって来たな~」という感覚に浸らずにはいられなかった。

 地図を見ると、石垣島と西表島はすぐ隣同士のように見えるが、おそらく最短距離でも35㌔ほど離れている。石垣島からフェリーが出ているが、その航路には大原航路と上原航路の2通りがある。私は上原航路を利用した。それは、宿泊予定のユースホステルである「いるもて荘」が上原航路の終点の上原港に近いところにあったからである。

 ちょっとネットで「石垣島-西表島、フェリー」で調べてみると「八重山観光フェリー」がトップに出てきて、おそらくその運航会社のフェリーをしたものと思われる。船の種類もいくつかあるみたいで、航路により使い分けているようだ。定員も、少ないフェリーで90名前後、大きなものになると190名弱は乗れる。しかし、どれも客船で、もちろん車などが乗せられるようなものではない。私は自転車とともに乗船しているので、自転車はどこか適当なところに係留させてもらったのだろうか?と、その辺の記憶は非常に曖昧である。乗船時間は40分ほどなので、ちょっと景色を楽しんでいる間には着いてしまった。

 ユースホステルは徒歩だと港から20分ほどかかる。事前に予約を入れておくと港まで迎いの車が来てくれるみたいだが、私の場合は愛車があるのでその必要はなかった。

 私が訪れた日だが、石垣島のユースホステルで撮ったユースホステルの写真の日付が「6月27日」になっている。そして、西表島の写真で一番日付の早いのものが「7月2日」である。 よって、その間、写真を撮っていない日もあるので、おそらく西表島に渡ったのは6月の末だと思う。事前にこの「いるもて荘」に宿泊の予約を入れていたかどうかは不明だが、私が訪れたときにはけっこう宿泊客はいた。

 この「いるもて荘」にはトイレの付いた個室もあり民宿も兼ねているようであったが、私が宿泊した部屋は畳みで、確か「3人部屋」だったように記憶している。

 宿泊客もいろいろである。学生さんだったり、または社会人であったり、そして私のように時間を掛けて旅をしている人もいた。そして、リピーターも多いようで、毎年この時期になると来ている人もいるようでたった。私はその身なりからだが、すぐに「ヒゲさん」というニックネームが付けられ、最期まで本名で呼ばれるようなことはなかった。

 以下の写真は「かっちゃんのお魚ブログ」のご厚意で拝借させていただいた。ありがとうございます!実は「いるもて荘の外観ってどんなかんじだったけ?」とグーグルの画像検索で探していると、良い写真が目に入って来た次第である。クリックすると、ブログに掲載された写真だと分かったり、メールアドレスが載っていたので「借用したい」旨のメールを送ると快諾していただいた。

 私もときおり、全く知らない人から「サイト内に掲載しているものを使わせて欲しい」とメールを頂くことがある。その多くは、筋肉を解説したページで使用しているイラストを使わせて欲しいという内容のものである。

 私も、「全部、使わせてください!」と言われると、何百時間もかけて描いているので「それはちょっと…」となってしまうが、ほとんどは「とりあえず必要なものだけ」なので、「少しでもお役にたてるのなら」ということで使って頂くことにしている。

 去年の11月ころであったろうか、ある女性の方から「バレエをやっていて、使う筋肉の解説をしたいので、立ち上げているブログでイラストを使わせてほしい」というメールを頂いた。一応、ブログの方を確認させていただいたのだが、どうも年齢的には60を超えていると思われる人であった。とりあえず、特に支障もないような気がしたので快諾した次第である。

 それ以来、特に連絡はなかったのだが、ちょうどクリスマスの日だと思う。アマゾンからメールが一通届いた。「あれっ、最近、注文はしていないと思うが…?」と見てみると「ギフト券が届いています」との内容であった。

 「ギフト券?」と言う感じで全く意味が分からなかった。よくよく見ると「~さんから2,000円分のギフト券が届いています」との内容であった。「~さん」に最初は全く心当たりがなかったが、よくよく調べてみると、「バレエをやっていて、使う筋肉の解説をしたい」と言う人からのギフトだということが判明した。全く予期せぬクリスマスプレゼントであった。

 早速私は、彼女に「こんなことして頂かなくても気兼ねなく使って頂ければよかったのですが、送り返すわけにもいかないので、ありがたく使わせていただきます」とメールを送った次第である。結局、ただのちゃっかりものだったのかもしれない?こんなこともあるものだ…。

 


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出よう(国内・自転車旅行)「石垣島へ(その2)」 [トピックス]

■ 川平湾 ■

 ユースホステルから川平湾(かびらわん)に移動した。理由は、ガイドブックなどには「湾内の海は、光の加減や潮の満ち引きにより刻々とその色を変え、石垣島を代表する景勝地と評される」(文はウィキペディアから引用)との記載があり、その美しさを絶賛しているからである。なお、川平湾付近にはユースホステルはないので民宿に宿泊することにした。

 ガイドブックに書いてあるように美しい場所であったが、どうも、ガイドブック等に「非常に美しい」などと書いてあると、「そういうもんなんだ!」と今一つ感動的でなくなってしまう私がいるのである。しかし、今回は、予期せぬ美しさを味わわせてもらった。それは、は昼間ではなく夜であった。

 私が宿泊した日は、雲ひとつない夜であった。夜空には星々も美しく輝いていたが、何よりもその存在を主張していたのは煌々と輝く満月であった。「夜の湾の景色を見よう」と湾を見渡せる道に出てみると、月の光で道に自分の影が落ちているのが分かったほどである。

 湾内には少しさざ波が立っていた。そして、そのさざ波ごとに満月が反射され、湾内は光り輝いていたのである。素直に「きれいだな!」と思った。いろいろな条件がそろってこそ楽しめる景色であった。しばしの間、頭の中を空っぽにしてその景色を楽しんだ。まあ、もともと「空っぽ」に近いという感じがないでもなかったが…。

 

 

■ ダイビング ■

 さて、川平湾の民宿に宿泊したときもダイビングをしたのを覚えている。ただ、川平湾付近の海に潜ったのか、それともちょっと離れたところで潜ったのかが全然思いだせない。潜ったポイントの風景だけは鮮明に覚えているので、ヤフーの「知恵袋」を利用してみることにした。

【 質 問 】

「石垣島 ダイビングポイント名 :もう20年以上も前のことで記憶も定かでない部分があるのですが、ダイビングしたポイントがどの辺なのかを教えていただきたいのです。まず、宿泊したのは川平湾の民宿でした。その民宿のすぐそばのダイビングショップを利用したのか、それともちょっと離れたところ(当時、自転車で旅をしていたので、離れていると言っても数キロくらいだと思います)を利用したのかは定かでないのです。ポイントは小さなボートで数分のところだと思います。水深は5mもなかったように記憶しています。海底は白い砂で、ところどころに白いサンゴがあってその上を小魚が群れていました。こんな説明では難しいでしょうか?よろしくお願いします。」

【 回 答 】

「さすがに、これだけのイメージ情報では回答困難かと思います。石垣全域が対象になっちゃう(笑)
しかし情報からして、カピラ湾近くの、初心者向きのサンゴポイント「底地ビーチ沖ポイント」と考えられます。そこは平均深度5m、最大でも10mで、白砂にテーブルサンゴ、石サンゴ、枝サンゴがとても多く、ソラスズメ、リュウキュウミスジなど小魚が群れて印象的な所です。崎枝は深くて中級者向きだし、南風見方面から鹿の川になると、深くなるので上級者向きです。」

 上記のような回答を頂き、おぼろげながら記憶がよみがえって来た。そう、自転車で底地ビーチにあるダイビングショップまで移動しているはずである。距離的にはおよそ2kmなのでたいした時間はかからない。ポイントは浜からすぐのところでいろいろな種類のサンゴ礁を見ることができ、トロピカルフィッシュが戯れていた。水深的には3mから5mほどの初心者向きのポイントであった。

 これも個人差が非常にあると思うが、私個人としては、ダイビングは 「深く潜れば良い」というものではないと思っている。浅くて楽しめるに越したことがな。もちろん、深くなければ楽しめない景色も多い。どうも小心者のためか、あまり深いとちょっと「恐ろしさ」みたいなものを感じてしまうわけである。

 

 ⇒ 実際の底地ビーチの写真を掲載しているサイトⅠ

 ⇒ 実際の「底地ビーチ沖ポイント」の写真を掲載しているサイトⅠ

 ⇒ 実際の「底地ビーチ沖ポイント」の写真を掲載しているサイトⅡ

 ⇒ 実際の「底地ビーチ沖ポイント」の写真を掲載しているサイトⅢ

 ⇒ 実際の「底地ビーチ沖ポイント」の写真を掲載しているサイトⅣ


トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。