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プーケット四方山話「痛くて首が回せない」 [フィットネス紀行]

 

 今日は2007年の2月2日である。去年の年末あたりから、特に座ってパソコンの作業をしていると、肩にこりを覚えるようになっていた。今までも、肩コリは激しいほうではなく、たまに「ちょっと、肩がこっているかな。」というくらいで、1日もすると忘れてしまう程度のものであった。
  しかし、年末に感じた肩こりは違っていた。一向にこりが取れなかった。このようなことは経験したことがなく、全く原因が分からなかった。そして、そのまま年を越すことになる。
  新年を向かえ、私の通っているフィットネスクラブは4日が初日となったが、年末年始で休みのときも、努めて他のスポーツクラブへビジターで通うようにした。
  13日くらいの筋持久力系の45分のスタジオレッスンを受けていたときのことである。去年の12月からの新しい「振り」にもそろそろ慣れてきていたので、肩のエクササイズのショルダープレスのときに、今までよりも一番小さいプレートを1つ足して重くしたのだが、エクササイズの最後のほうでは、だんだんとウエイトを上げるのもしんどくなってきて、「最後までもつかな?」という不安があったが、何とかもってくれた。それは良かったのだが、最後の最後にウエイトを頭上に上げたときに、首に「グキッ」と痛みを感じたのである。
  そのときは「ちょっとムリしてしまったかな。」くらいに軽く考えていたのだが、その翌日、「ちょっと」ではすまないほどの「痛み」になってしまった。
  首が痛くて回せない。寝ているときは、痛くて寝返りが打てないのである。実は、この手の「痛み」は初めてではなく、今までに何回か経験している。首だけではなく、腰、背中と出ていて、次のような特長がある。
  ・原因が分からない。
    今回はショルダープレスがたまたま「引き金」になったのであろう。それがなくて
    も、いづれは出ていたに違いない。過去に、腰、背中と痛みが出たときも、全くの
    原因不明で、無理をしたという覚えが一切ない。
  ・1週間から10日で自然消滅する。
    不思議と1週間から10日間くらいで自然に消えていくのである。その間、医者に行く
    わけでもなく。薬を飲むわけでもない。※シップ薬くらいは張ったりするが。
  ・「痛み」のピークは2日から3日目
    痛み出してから2日目から3日目にピークを迎える。何が辛いかというと、安静にし
    ている(寝ている)のが一番辛いのである。その辺が普通の「痛み」と違うところで、

   非常に不思議である。
  もちろん、痛いところを無理しては動かせないが、痛いからといって動かさないでいると、その痛んでいる周辺の筋肉が硬直して、痛みが一層増してくる。つまり、寝ていると、カチカチになり、痛くて寝返りが打てなくなってしまう。
  そして、もっとも辛いのが、寝床から「起き上がる」ときなのだ。「よし、起きるぞ!起きるぞ!」と気合を入れ、「ウリャッ!」とか「オッシャ!」と言葉を発しながらでないと、とても起き上がることができない。失敗でもしようものなら、地獄だ。だから、失敗は許されない。一発で決めないといけないのである。
  ということで、幸か不幸か、「痛み」の経過パターンを把握していたのである。しかし、「よりによって何で今ごろ…」という思いがないでもなかった。数日後には、バンコクに向けて出発しなければならなかったからである。 
  そして今回は、「痛み」の経過パターンがいつもと違っていたのである。ピークは、痛みが出て2,3日で治まったが、1週間、10日過ぎても、痛みが完全に消えてくれない。ずっと引きずっていて、悪いことにプーケットで再発してしまった。今、またピークは通り越したが、後ろを振り向いたり、下を向いたりするときに、首の右の部分に痛みを覚えて、多少なりとも不自由さを感じている。
  しかし、この痛みに限らず、エクササイズなどである程度身体に負荷をかけていれば、どこかしら傷めているものではないだろうか?その辺のところを、他の人と話す機会はあまり持たないが、トレーニングをしていて「痛いところは全くない」という人はいるのであろうか?
  もし、そういう人がいたら、うらやましい限りであるが、私の場合は、上記の痛み以外にも、いろいろと痛めている。
  左肩を痛め、1年近く60kgのベンチプレスさえもできないときもあったし、右ひじを痛めたときは、4、5kgのダンベルでも、痛くて肩の高さより腕を上に持ち上げることができなく、4、5ヶ月は続いた。
  もちろん、痛い部分を無理して動かすことはできないが、痛いからといって全く動かさないということもしない。そうすると、いつの間にか「痛み」は消えているのである。
  これからも、身体を動かしている以上はあっちこっち痛めるに違いないが、うまく「お付き合い」をしていかなければと思うのである。
  この首の痛みも、いつのまにか消えていてくれると良いのだが…。 


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プーケット四方山話「小僧でもおじさんは容赦せんぞ!(その2)」 [フィットネス紀行]

 さて、目的の場所に着いた。向こうは日々、何百人という観光客を相手にしているので、当然、私の顔など覚えているわけもない。私のほうも、前回、金額を聞いたのは男性だったことは記憶しているが、どのような男性だったのか全く覚えていないような状況であった。

  商品の前で、腰を低くして品定めをしていると、「どうですか?」と声をかけられたので、見上げると、高校生ほどの男の子だった。
  「いくつか欲しいのだけど、この一番小さいものでいくら?」と聞くと
  「一番小さいものは100バーツで、これが150、それからこれが200で…」との説明に、前回聞いたのと同じ金額かなという印象を持った。まー、とにかく、同じ商品を扱っている3軒の中で一番安いのは確かなようである。
  ガラス製品ばかりを扱っていたが、私が欲しい「ヤドカリ君」は、各サイズ合わせて全部で20個ほどであった。
  その中でも、お気に入りの「小」は半分ほどであったが、商品の中にはガラスの足が取れているものや、貝殻の一部が欠けているものもあったので、そんなに選択肢があるわけではなかった。
  「小」を4つ、「中」を1つと、ガラスだけでできたハリセンボンを1つ選び、「いくら?」と彼に尋ねた。
  彼は電卓片手に計算を始めた。「小が100で、それが5つだから500、あとそれに150の中が1つで、全部で650」という感じで、私に電卓ではじいた数字を見せたのである。
  一つ一つの金額は分かっていたので、電卓がなくてもそのくらいの足し算は私にもでき、私の頭の中の「650」という数字と一致した。
  さー、問題はここからである。向こうが提示したそのままの金額で買うのは、あまりにもバカバカしいし、そういう行為は相手に対しても大変失礼なことで、「値引き交渉」という「ゲーム」をしないといけない。向こうもそれを期待しているのである。
  「オジサンは、相手が小僧だからといって容赦はせんぞ!」と意気込み、副腎皮質から出るアドレナリンの分泌量も徐々に増え、臨戦態勢を徐々に取りつつあった。
  でも、待てよ。あまり、感情的になっても大人気ないし、「日本人っていうのは…」という印象を若いうちから持たれても、日タイの友好関係にヒビが入りかねないので、深呼吸を何度か試み、呼吸を落ち着かせた。
  はなから無理な数字を提示するのも常識に欠けるので、「500で行こう。そうだ、500がよい。すると、向こうは一応Noと言ってきて、600と言うに違いない。そこで、私もNoと言って550と言って、向こうもちょっと迷ったような振りをして、しようがないなー、みたいな感じで、OKサインを出してくるはずだ。」と自分なりにシミュレーションをしてみた。
  彼が持っている電卓を手に取り、650の数字をクリアし500と打って、彼に見せ、彼がどう出てくるか身構えた。
  すると、特に躊躇する様子もなく「OK!」とうなずいている。
  「あら?」いう感じで、一気にアドレナリンの分泌はゼロになった。しかも、うれしいことではあるのだが、「もう一つおまけに、小さいのサービスね。」とか言って、小さなヤドカリ君を差し出すではないか。
  「小僧、この日本から来たオジサンを馬鹿にしているのか?!」とまでは言わなかったが、あまりにも予想していた事態とは違っていた。
  しかし、そうなってくると「初めからもっと安く言っておけばよかったかな?」という思いが浮かんでくるが、いくらなんでも私が提示した金額で「OK」と言っているのに、そこから「いや、400しろ!」とかは口が裂けても言えない。明らかなルール違反である。国際ルールに反する。
  かくして、私は、ヤドカリ君の小を5つと、中を1つ、それとハリセンボンを1つ、割れないように細かくシュレッダーされた新聞紙の入っているダンボール箱に入れてもらって、宿に向かうのであった。


 

ガラス細工のおみやげ。ただガラスだけでできたものもあったが、私のお気に入りは本物の貝殻つきの「ヤドカリ」である。


私がお土産に買った「ヤドカリ君」たちです。一番右は、ガラスだけでできたハリセンボン。


石鹸を花形にカービングして色をつけたもの。バンコクの露店でも売っているのを良く見かける。売っている人がその場で削っていたり、色を付けていたりすることもある。


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プーケット四方山話「小僧でもおじさんは容赦せんぞ!(その1)」 [フィットネス紀行]

 

 バンコクでもここプーケットのカタビーチでも、お土産を扱う露店はいくらでも目にすることができる。Tシャツや水着などの衣類から、民芸品、貝細工、皮革製品、ロウ細工、ぬいぐるみ、サングラス、時計、ナイフなど、その種類も豊富である。
  ただ、その土地特有というものがあまりない。つまり、バンコクもプーケットも同じようなものを扱っているのである。
  プーケット到着初日の夜に、夕食を済ませ、通りを散策しているときに、目に留まったのがあった。ガラス製品である。以前、訪タイしたときにも同じものを買ったのを思い出した。たぶん、前回はバンコク(プーケットは今回が初めてだが、前回はチェンマイに行っている。)で購入したと思うのだが、記憶が定かではない。
  今回、プーケットに来る前にバンコクにしばらくいたが、同じガラス製品を扱った露店は1件も目にしなかった。
  そのガラス製品の中でも、本当の貝殻を使ってヤドカリを模したものがお気に入りであった。小、中、大、特大と4種類くらい大きさがある中で、一番小さいものがかわいらしい感じがした。
  値段を聞くと、一番小さいもので100バーツ、続いて150、200、250とのこと。プーケットにはまだ数日滞在する予定なので、慌てて購入する必要は全くなく、そのときは適当に聞き流して、翌日になると、聞いた金額すらあやふやであった。
  別の場所で同じ硝子細工を扱っているところがあり、金額を聞いたところ、一番小さいもので150と言われた。明らかに高い。
  また、別の場所でも見つけたので、たずねると120との返事だったので「一番最初のところが一番安かったかな?」という印象があったので、プーケットを出発する前日の夜に、買うことを目的に一番最初のお店に再び向かったのである。
  そこは、夜になると数件のみやげもの店が現れる、両側をレストランで囲まれた広場であった。


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プーケット四方山話「商魂たくましきインド人たち」 [フィットネス紀行]

 

 「Hello, my friend. How are you?」彼の店の前を通ると必ずこう言われ握手を求めて来る。彼はインド系タイ人の洋服の仕立て屋だ。しかし、バンコクでもここプーケットでも、なぜかインド系の人は「仕立て屋」なのだ。非常に不思議である。インド系の人はそんなに裁縫が好きなのだろうかと思ってしまうほど、「仕立て屋=インド系」である。

  最初に声をかけられた時はこんな感じであった。

  「やあ、どこから来たの?」

  「日本からだよ。」

  「ナイスボディをしているじゃないか?映画か何かを作っているのか?」

  私は最初、彼が使ったpicture(映画)という単語の意味が分からなくて、「pictureって?」と聞き返したら

  「ほら、ジャッキーチェンとかが出ている、アクションの…」と言ってきたので理解ができたが、ゴマスリスリ状態である。「ここまでゴマをスリスリされるとどうなんでしょうね?」などど思いながらも、悪い気はしないものである。その心理状況を彼らは巧みに利用しているのだ。インド系タイ人、あなどれん! 

  「どうだ、プーケットに来た記念にスーツのオーダーをしないか?」

  とセールスをしてくる。「プーケットに来た記念=スーツ」の組み合わせが理解できないが、そんなことは彼らにとってどうでもいいことで、とにかく売れればよいのだ。

  しかし、こんな暑いプーケットに来て、スーツをオーダーする人がいるのだろう。非常に理解に苦しむ。

  毎日のように彼の店の前を通っていた。そのたびに、声をかけてくるので

  「商売の方は順調なのか?」

  と聞いてみたら

  「とってもうまく行っているよ。」

  との返事だったが、お客さんが入っているのを見たことがない。

  この手の店では、その前を通るたびに声をかけられた。もちろん、それは私に特に興味を示したわけではなく、道行く人に片っ端から声をかけているのである。商売になれば、別に誰でも良いのだ。

  別の店で

  「ちょっと、ちょっと、2分ほど時間くれないか。聞きたいことがあるんだ、セールスなんかしないからさ。」

  と声をかけられた。別に急いでいるわけでもなかったので

  「別に構わないけど…。」

  と話を聞いていると、何のことはない、たわいもない話をしたかと思うと

  「シャツをオーダーしないか?」

  とすぐセールスが始まる。

  まー、そんなに目くじらを立てるほどでもない。ついでに彼に

  「なんで、君たちインド人は仕立て屋なのだ?」

  と言うと

  「オレはパキスタン人だ!」

  との答えだった。さすがに、インド人とパキスタン人の区別はできない。「Sorry!」と言い「なぜパキスタン人は…」とまでは聞けなかった。

  最後まで店内に入ることはなかったが、今頃も道行く人に「Hello, my friend!」と声をかけているに違いない。


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プーケット四方山話「3回も通うと…(その2)」 [フィットネス紀行]

 

通常、レストランの前にはメニューが置いてあって、それをパラパラとめくって金額を確認してから席に着くものであるが、いちいち料理の値段を覚えていられないし、支払いの中では料理よりもビールの占めるウエイトのほうが大きいのである。
  だから、メニューの最後の飲み物のページの「~ビール、…バーツ」「~ビール、…バーツ」というところしか見ないのが常。
  良い場所を見つけたのである。ビーチ沿いで、かつビールが安かった。「ビールが安い」と言っても、通常、極端に安いというのはあり得なく、大ビン(630ml?)でだいたい10バーツから20バーツ(日本円で34円から68円)くらいの範囲内の違いになる。でも、これが私にとっては魅力的なのだ。
  レストランの名前は覚えていないが、毎日のように、昼食か夕食はそこで取っていた。そして、3回も通うと、ちょっと遠くからでも私を見ると「元気か?この席に座れ!」とビーチに近いテーブルを指差す。私が席に着くなり「ビール大瓶だろ!」と言うので、それには大きくうなずくしかなかった。
  そう、まずはビールなのだ!この暑いタイではビールを補給していかないと脱水症状を起こしてしまい、死にいたる危険性までもはらんでいるのである。ビールがないと生きていけない身体になってしまった。
  しかし、タイに来るまでは、諸事情により7ヶ月間全くアルコールを入れていなかった。ジムで毎日のように測る体重も73キロ前後で落ち着いていたのだが、タイに着てからは1回も体重を測っていない。ジムに体重計がないでもなかったが、いわゆる「はかり」のような体重計で、何て表現したらよいのか分からないが、体重計に乗って分銅を移動させてバランスを取って測定するものだった。
  今までそのようなものは一度も使ったこともないし、正確に測れるかどうか自信がなかったので、進んで使ってみたいとも思わなかった。(トレーニングマシンなどの設備は最新なのに、体重計との間にえらくギャップを感じる。) 
  今現在、どのくらいの体重になっているのか検討がつかないが、摂取しているビールの量やトレーニングの時にはくショートパンツもきつくなっているような気がするので、「かなり増えているのだろうな?」という不安は当然ある。
  しかし、また日本に帰ったら「禁酒生活」の始まりである。この際、「飲めるだけ飲んでやる!」という感じがしないでもない。
  注文した料理がテーブルに運ばれるまで、気持ちよくビールをグイグイやるのだが、店が混雑しているときなどは、料理が来るまでに時間がかかり、1本空いてしまったりする。料理を運んできたウエイターはそれを見て、右手の人差し指を立てて「もう一本?」と、一応確認したりするのであった。
  旅の後半、バンコクでよく行ったレストランなどでは、最後のほうには、席に着くとメニューと一緒に栓の開いているビールを持ってくるようになってしまった。これには参った!



 

ビーチの端にある、いつも食事をしていたレストランから写したもの。パラソルがとぎれることなく続く。


いつも食事をしていたレストランの横にはレゲエバーがあり、夕方くらいから開店となる。その名も「スカバー」。ボブマリーの曲を聴きながら、潮の香りをかぐ、そしてビールをグイグイではなくチビチビとやる。これが、また最高なのである。



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プーケット四方山話「3回も通うと…(その1)」 [フィットネス紀行]

 

 宿泊地での食事は、当然外食となる。つまり、食べるところを探さなければならない。例外的には、何回かコンビにで冷凍食品を買って、電子レンジで温めてもらったり、食堂や屋台でテイクアウトの食事を注文したこともあったが…。
  バンコクでは宿泊料金に朝食がセットされていたので、便利は便利であった。しかし、毎日ほぼ同じものを食べていたので、何回か続けていると当然飽きてくるのだが、それを通り過ぎると慣れてくるので、これもまた不思議である。
  ここプーケットでは、宿泊料金に朝食はセットされてはいなかったが、朝食だけはいつも宿でトーストとコーヒーのアメリカンフレックファストを食べていた。
  宿が丘の中腹にあるということもあって、食堂からはビーチやメインストリートが見晴らすことができた。いつも、風は少し強かったが、一番見晴らしの良いテーブルに着き、ゆっくりと朝食を取っていた。
  この宿の食堂、テーブルが7つくらいあり20人から25人くらいは座れるのだろうが、ビーチの雰囲気があるというものではなく、朝食以外に、昼食や夕食をここで取る人があまりいるようには思えない。
  よって、半分は宿の従業員の憩いの場となっている。
  私も、とても昼食と夕食をここで食べようという気にはなれなかったので、別のところを探して食べていた。
  もちろん、レストランなんていくらでもあるのだが、どこでも構わないというわけにはいかない。私なりに選ぶ基準がある。
  せっかくビーチに来たのだから、できればビーチ沿いで気持ちよく食事がしたい。そして、ビーチ沿いにはレストランはいくらでもあるが、そんなにリッチな食事はできないし、こ洒落たところで一人で食事をするのも、そんなに快適なものではない。
  テーブルの上にキャンドルなんかが置いてあって、カップル同士が「I love you, honey.」などと言って、チュッチュしているのを横目で見ながら食事をするのは、食べたものが出てきそうだ。
  食べる場所を決めるときの要素として一番大事なのは、私の場合、ビールの値段である。とにかく、ビールが安くなければ、速攻でパス。


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プーケット四方山話「古びたジム、その名もカタジム(その2)」 [フィットネス紀行]

  その代わり、ジムの一角にサンドバッグがあったので、ジムにいる時間の3分の2は、それをたたいたり、けったりした。もちろんエアコンなどあるわけがないので、15分もサンドバッグと戯れていると、汗が額からポタポタと落ちていった。
  しかし、日本では、サンドバッグをたたいたりけったりするというのはめったにあるものではない。自分の通っているフィットネスクラブにない設備に関しては、触れたりする機会はそうそうあるものではない。
  パンチも、最初は素手で入れていたが、たたき出してしばらくすると、手が痛くなってくる。「あまり無理して手を傷めてもバカバカしいし。」などと思っていると、2階に通じる螺旋階段にグラブが置いてあるではないか。一応、使っても良いという許可を得たので、はめてたたき出すが、力を入れてたたくと、結構こぶしに「ズシリ」とくる。
  「けり」はサイドからの回し蹴りとなり、サンドバッグにあたるのは「すね」の真ん中辺りから足首かけての部分になる。サンドバッグも上部は砂の量も少なく、他の人の「けり」なども入っていると思われ軟らかくなっているが、それより下は硬い。
  その「軟らかい」上部まで届けば問題はないが、左右で足の上がる高さが異なり、右足はまだ良いのだが、左足となるとその軟らかい部分まで届かないこともある。
  そうなると、当然、左足は下部はサンドバッグの硬い部分にあたり、痛い思いをしなければならない。また、無理して足を持ち上げてもバランスを崩してしまう。
  要するに、股関節の柔軟性が足りないのである。かねてから、そのことは格闘技系のレッスンなどをするときに痛感しているのだが、特に股関節の柔軟性をつけるのは非常に難しい。ある程度までいくと壁にぶち当たり、そこから一歩も前に進んでくれない。何とかしなければとは思っているのだが…。
  初日の時点で、宿に帰って足が痛むのでよく見ると、左右の足のすねの下部は薄っすらと青くなっていた。
  初日は夕方の7時ころに行ったが、その時点で、高校生くらいの若い青年が一人トレーニングに励んでいた。またしばらくして、30前後くらいの男性が膝くらいまでのパンツをはき、上半身裸でバイクに乗ってやって来て、そのままの姿で1時間ほどトレーニングをして、そのまま帰っていった。
  2日目は3時過ぎに行ったが、利用している人は誰もいなかった。しばらくして、西洋人が2人やってきて、1時間ほど筋トレをして帰っていった。
  ジムの片隅には、ここのオーナー(40歳くらい)の母親と思われる70歳くらいの女性が、いつも石のフロアの上で横になって昼寝をしていた。きっと、床が冷たくて気持ちがよいのであろう。
  壁にかかっているボードには以前にここを訪れた人たちの写真が貼られているが、みんなセピア色になっている。
  また、ムキムキボディビルダーの大きな写真も何枚かかけられていたが、その中でひと際目立っていたのが、若かりし頃の「アーノルドシュワルツネガー」の白黒の写真であった。
  ヤモリが、そのシュワちゃんの写真の周りの壁をペタペタとはって、ごはんである小さな虫を捕食している。Kata Gymは、そんなジムであった。

 


「カタ・ジム」のほぼ全景。向かって左手にはプレート式のマシン、右手がフリーウエイト用のベンチなどが置かれている。手前にはテーブルとイスが置かれ、休憩を取ることができる 。


たたいたり、けったりして遊んだサンドバッグ。手にはめているのは借りたグローブだが、これが結構臭うのである。


「カタ・ジム」の前にて。この日もよく晴れていた。



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プーケット四方山話「古びたジム、その名もカタジム(その1)」 [フィットネス紀行]

 

プーケットのカタビーチに小さなジムが2軒。また、プーケット島の中心部であるプーケットタウンまで行くと、ホテル内にフィットネスクラブがあり、ボディコンバットやボディパンプなどのレッスンが受けられることは、日本にいる時にネットを通して情報を得ていた。
  プーケットに来る前は、その市内のホテルに行って、ボディコンバットなどのレッスンも受けたいと思っていた。しかし、カタビーチからこのプーケットタウンまでミニバスで1時間はかかる。宿が期待はずれでちょっと落ち込んでいたことなどから、1時間バスに乗ってレッスンを受けようなどという気力はどこにもなかった。
  結局は、プーケットでの滞在5日間のうち2日間だけを「Kata Gym」という小さなジムで、軽く汗を流すだけで終わってしまうことになる。
  トゥクトゥクの運ちゃんに連れて行ってもらったKata Gymであるが、お世辞にも「きれいな」とか「整った」などの形容詞をつけられるジムではなかった。「古びた」という言葉が似合うジムである。
  この手のジムはベトナムやインドネシアでも経験しているが、もしかしたら今まで行った中で一番「古びた」という形容詞が合うジムかもしれない。
  利用料であるが、英語での料金表があり1日120バーツ(日本円で約408円)、1週間で360バーツ(約1,224円)、あとは1ヶ月、3ヶ月などの単位もあったように記憶しているが、料金までは覚えていない。
  したがって、1日だけ利用する場合は、その場で120バーツを払って、あとは「勝手にやってくれ。」という感じである。もちろん、支払った金額に対しての領収書などというものがあるわけではない。
  営業時間は朝8時から夜9時までで、広さは30畳から35畳ほどであろうか、半分はラバーのフロアだがところどころめくれている。もう半分はコンクリがむき出しで、ところどころ欠けたりしている。
 一通りのマシンやダンベル、フリーウエイトは揃ってはいた。また、通販で販売しているようなレベルのものであったが、ランニングマシンやバイク等の有酸素系のマシンもあることはあった。
  少しは使ってみたが、錆もかなり出ているしマシンなどもキシキシと音がするので、使っていて「このマシン、大丈夫かな?」と思ってしまうほどで、とても気持ちよく使えるような代物ではない。


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プーケット四方山話「明らかに「外れ」であったK.H.Residence(その3)」 [フィットネス紀行]

 

そして、このホテル自体、丘を切り崩して建てているため、そのバルコニーから見える景色は、草が生えた「壁」に近いもので、とても「眺め」と呼べる代物ではない。

  一番大切な「接客」であるが、やはり「もてなそう」精神が欠けているのである。結局は全てがそこから来ているような気がする。海側、丘側などの物理的な条件はどうにもならないが、「もてなそう」精神がもっとあれば、チェーンロックやタンスの落ちた部分だってしっかりと補修されているはずである。
明らかに「ハズレ」であった。「せっかくプーケットまで来たのに。ビーチまで来たのに。」という思いがメラメラと沸き起こり、「よっしゃ!もっといいところに泊まってやる!」と意気込んだ。
 ここの宿泊料金(1泊1,400バーツ、日本円で約4,760円、5泊で23,800円)はすでに全額日本で振り込んである。よって、途中で宿を別のところに変えたからといって、払ったものは戻ってこないであろう。しかし、そんなことはこの際どうでもいい。覚悟の上だ。「リゾートを満喫したい!」という気持ちが膨らんでいった。
 カタビーチのメインストリートにはツアーなどのチケットを扱っている代理店がいくつもあった。そのうちの1つに足を踏み入れ、そこにいたインド系のお兄ちゃんに相談してみたのである。
 「いやー、まいったよ。今の宿さ、ひどいんだよ。それでさ、ちょっとくらい高くてもいいから、別のところにしようかなと思っているんだけど、いいホテル知っている?」
 そのお兄ちゃんは、「そりゃ、大変だったな。」みたいな感じで、こう言うのである。
 「今の時期、ハイシーズンで一番混んでいる時期だよ。どこもいっぱいだよ。まー、1万バーツくらい払えるんだったら、良いところを紹介してあげられるけど…。」
 「1万バーツ?!」私は大きな声を上げてしまった。日本円にすると、34,000円くらいになる。予想もしていない金額であった。私の頭の中では10,000円から15,000くらい払えば、少しはまともなところに泊まれると甘く見ていた。お手上げである。これはあきらめるしかない。悪い環境を自分なりに良い環境に変えていくしかない。不平不満ばかり言っていても何も変わらない。
 「そうか…。分かった。ありがとう。」
 と力無げに礼を言って、そこを出た。
 腹もグーグーと鳴ってきたので、近くにあった安そうなレストランで食事をすることにした。
 テーブルについて、メニューをパラパラとめくっていると、「飲み物は?」と聞くので「ビアチャ―ン(チャンビール)」というと、応対してくれたオバちゃんは目を丸くして驚いているのである。
 「タイ語が話せるのか?」とタイ語で聞いてきたので(片言のタイ語を使うと「タイ語が話せるのか?」と何回かタイ語で聞かれているので、「タイ語が話せるのか?」というタイ語は理解できるようになっていた。)「マイダイ、二ッノイ(できません。少し)」とちょっと矛盾した答えではあるが、そう聞かれた場合はいつもこう答えていた。
 そのオバちゃんは、今の「ビアチャ―ン(チャンビール)」という発音は完璧だった。まるでタイ人のようであったと私に言ってくれた。
 喜んでよいのかどうか分からないが、このころにはビールの名前だけは完璧にタイ語で発音できるようになっていたのである。



 

宿泊した部屋。別途はシングルが2つあった。パソコンの打ち込み作業がしやすいように、いつも一つずらして使用していた。


テラスの部分。テラス側が明るいので、昼間はパソコンをテラス側に置いて、打ち込み作業をした。


もう一つのベッドは荷物をちょっと置くだけ。フロアーも一人旅には十分の広さだったので、そこに荷物をばら撒いていた


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プーケット四方山話「明らかに「外れ」であったK.H.Residence(その2)」 [フィットネス紀行]

プーケット国際空港から乗ったミニバスがK H Residenceに着いたのは夕方4時近かった。ミニバスから荷物を取り、受付に向かいチェックインしたい旨を伝えると、「103号室」の鍵を渡され、「この廊下の先の左の部屋」とのこと。
  そんなに大きな宿ではない。たぶん部屋数も15前後といったところではないだろうか。私の103号室は受付から10mほどしか離れていなかった。ドアに鍵を差し込む時点で、海側、丘側の位置関係は分かっていた。丘側の部屋である。
  部屋のドアを開け中に入ると、広さはそれなりにあった。シングルのベッドが2つ、テレビ、小さな冷蔵庫、デスク、洋服入れ(その中には小さなセイフティーボックスが備え付けてあった。)、トイレ兼シャワールーム、それから一応バルコニーがあり机とイスが2つ置いてあった。
  もちろん一人旅には十分すぎるほどの広さであったが、1泊もすると、いろいろとマイナスな部分が見えてくるものである。
  まず、清潔感や安心感に欠けていた。築どれくらいの建物かは分からなかったが、15年以上は経っているように思えた。仮に15年としても、築15年の建物を築1、2年の建物と同じように「きれいに」維持していこうというのは無理な話である。
  ただ、築15年でもしっかりと手入れをしていれば、それなりに宿泊しているものには伝わるものである。
  しかし、ここではそれが一向に伝わってこなかった。壁や廊下のシミはある程度は仕方がないにしても、部屋のドアのチェーンロックは壊れていて全く機能していない。
  洋服ダンスを開けたときに、「バン!」と大きな音がして何かが落ちたので、びっくりして見てみると、引き出しの前の部分の板が床に落ちているではないか。よくよく見ると、釘で補修したような後があるが、全く効いていない。
  細かい部分を挙げていくときりがない。また、窓は2面についている。1つはバルコニーがある面で、ほぼ1面が窓になっている。もう一面には畳半分ほどの大きさのものがついているが、開けても、すぐ横にある木で囲まれた駐車スペースが見えるだけで、とても開放的とは言い難い。
  バルコニーに面しているほうは大きいので、開ければそれなりに開放感は得られるが、すぐ脇を頻繁ではないが、車が通る。この時期乾季のため、道路は乾燥しているので、舗装をされていないその道は、車が通ると砂埃を舞い上げることになる。
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